アメリカ創価大学(SUA)をめぐる一部の報道について

 去る5月22日、アメリカ創価大学(=SUA。2001年、カリフォルニア州アリソ・ビエホ市に開学した)の第1回卒業式が挙行された。第 1期の卒業生の晴れやかな勇姿は、見る者すべてに、アメリカ創価大学の教育の勝利を印象づけた。特に感銘を受けたのは、卒業生100名のうち、30名が他大学大学院への合格を勝ち取った点である。新設大学の初年度卒業生としては異例の成果であると、各方面からも驚嘆と賞賛の声が挙がっている。例えば、今私が客員研究員として滞在中のカリフォルニア大学バークレー校(UCB)の大学院にも一 人の日本人学生が合格している。5月7日にアメリカ創価大学環太平洋研究センター主催のワークショップに参加した際、卒業を間近に控えたこの青年も出席し ていたので、会うことができた。本来、教授陣のみのワークショップだったが、同じUCBで博士号を取得している、SUAのフィーゼル教授(学生部長)が彼 の優秀さを見込んで、特例としてこの会議に出席するよう促したのだ。彼は教授陣の高度な議論が展開する中でも、堂々と発言もした。実に知性、教養、人格と もに非常にすばらしい青年であり、彼のような卒業生を輩出したその一事をもってしても、SUAの教育の成果が実感できたものだ。このことは私のバークレー日記“The First visit to SUA”にも記したとおりである。 そ の他にもコロンビア大学、エール大学、ロン ドン大学など、一流の各大学院に卒業生が進学を決めている。

このような優れた実績にもかかわらず、日本の低劣週刊誌『週刊ポスト』(小学館発行)には、アメリカ創価大学に対する、目を疑うばかりの中傷記事が掲載された。SUAは、
「“ユニバーシティ”と 謳っているものの(中略)米国では各種学校扱いなのである」という。各種学校ということは、専門学校か私塾のようなものが、名前だけ「大学」を名乗っているということになるが、もしそうならば、そのような各種学校の卒業生は、大学院の出願資格を満たさないはずである。しかし、現に30名もの卒業生が他大学大学院に、しかも上述のように世界的な超一流の大学院に合格しているという事実をいったいどう説明するのか。

 もとより当然のことであるが、
SUAはカ リフォルニア州当局によって学士号・修士号の授与権を認可されているれっきとした大学である。また、アメリカ教育省によって認められている認可機関「アメリカ教養大学基準協会」(AALE)による事前認可を受けているし、SUAの学生には連邦基金から奨学金が支給されてもいる。これらの事実もSUAが大学として公的に認めら れていることを示している。SUAはこの記事に対し、訂正と謝罪を求めた厳重な抗議文を申し込んだという。同誌の対応いかんによってはSUAに対する名誉毀損として、法的措置が取られる可能性もある。この程度のことを『週刊ポスト』の記者はなぜ裏を取らなかったのか。今頃、「しまった」と思って慌てているに違いない。

 単に大学の名誉だけでなく、これから社会に出ていく卒業生の名誉をも損ねるような中傷記事である以上、この ような措置が取られるのは当然である。また、第1回卒業式に当たっては、地元のウィルソン・オレンジ郡行政官、ワーコムスキー・アリソビエホ市長からも祝辞が寄せられた。アリソビエホ市が誕生したのは、SUAの開学とほぼ同時期の2001年7月だが、初代市長を務めたバリ・ケーブ氏からも、「この4年間を通して、貴大学は、わが市にとって、なくてはならない存在でした」「学生たちは、多くの市民グループと交流したり、市民に開かれたキャンパスをめざし、友 好の祭典などをたびたび開催してくださいました」との祝辞が寄せられている。そのほかにも多くの地元の支援者が熱い眼差しを送りつづけてきたSUAである。大学に対する中傷は、そうした支援者の方々すべての心をも踏みにじるものである。

 『週刊ポスト』と言えば、一時期の発行部数伸び悩みから、巻頭にポルノ・グラビアを載せることで、何とか中年サラリーマンの読者を確保してきたことでも 有名である。あからさまなポルノ雑誌を書店やコンビニで買うのには抵抗がある中年男性も、同誌ならば普通の週刊誌のように見えるから買う。しかし、世のサ ラリーマ ンは奥さんに叱られるから家に持って帰れない。
結局、駅のゴミ箱に捨てられていくのが関の山である。はっきり言って、週刊誌の皮をかぶったポルノ雑誌と言ってよい。発行部数確保のために手段を選ばないこ のような雑誌に良識ある報道を求めること自体が無理なのかもしれないが、他人の名誉を傷つけて平気でいられると、ちょっと待てよという話になる。

 今回、SUAの元教授がニュース・ソースとして登場している。同元教授が辞職した経緯は当人の個人的な問題であり、私などの関知するところではないが、 いずれにせよ、何らかの不満を抱えて辞職したような元教授が、客観的・中立的な情報ソースとして適格であるかどうか、ちょっと考えればわかることではないか。 そうでなくとも、一つの情報があれば、別ルートからもその情報の真偽を確かめるなどして、「裏を取る」というのが、報道で飯を食っている者の当然の態度ではないか。そういう基本を怠るところに、「こんな記事を書いて、もし間違っていたら、この関係者を傷つけることになる」というような想像力が働かない、人権意識の欠如が如実に表れている。そんな者に報道を行う資格はない。悪いことは言わないからさっさと同誌を廃刊にし、編集部員は全員転職した方がよい。せめて、同じ小学館の健全な教育雑誌『小学一年生』か『めばえ』編集部にでも引き取ってもらって、人生を出直してはどうか。

 最後に、国際連盟の事務次長まで務め、日本を代表する国際人と言われた新渡戸稲造の一文を記して、結語としたい。「たぶんわが国以上に中傷者に行動の自由をゆるしている国はない。何千というそういう連中が、立派な市民の名誉を毀損し、またたしかに、暗殺やそれ以上の中傷をそそのかして、それで飯を食っている」(『新渡戸稲造全集第二十巻』教文館より)

2005.6.8




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