J・サールの主著の翻訳をめぐって

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)



 ジョン・R・サール(1932-)はたいへんな多筆家としても知られている。彼自身が自らのウェブ・サイトに公開している著書目録 (Bibliography)は、既に53ページに及んでいる。この目録には、単著、共著を含む彼の著書、また、彼がエディターを務めた研究書以外にも、 研究誌への投稿論文、寄稿、インタビュー記事などが多数も含まれているが、さらに、彼の著書に対してなされた翻訳書もすべて、その書名、刊行地、出版社、 刊行年を含めて、この目録に記載されていることが、この目録をこれほど分厚いものにしている要因と言えるだろう。

 サールの単著による主要著者は、1969年の“Speech Acts”に始まり、最も近い2004年の“Mind: a brief introduction”まで12冊ある。この12冊に対する各言語への翻訳は、17言語、58冊に及んでいる。世界中でいかに広く彼の著作が浸透して いるかがこのことだけからもわかる。下記の一覧表をご覧いただきたい。

 

 

original works

translations

 

 

year

itle

publisher

Por

Spa

Fre

Ita

Ser

Dut

Ger

Swe

Pol

Rom

Rus

Gre

Tur

Heb

Chi

Kor

Jap

 

1

1969

Speech Acts

CambridgeUP

1984

1980

1972

1976

1991

1977

1971

 

1987

 

 

 

 

 

 

1987

1986

10

2

1972

The Campus War

Harmondsworth

 

 

1972

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

3

1979

Expression and Meaning

CambridgeUP

1995

 

1982

 

 

 

1982

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

4

1983

Intentionality

CambridgeUP

1995

1992

1985

1985

 

 

1987

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1997

6

5

1984

Minds, Brains and Science

HarvardUP

1987

1985

1985

1988

 

 

1986

 

1995

 

1993

1994

1998

1988

1992

 

1993

12

6

1992

The Rediscovery of the Mind

MIT Press

1997

1996

1995

1994

 

 

1993

 

1999

 

 

1997

2004

 

2004

 

 

9

7

1995

The Construction of Social Reality

Free Press

 

1997

1995

 

 

 

1997

1997

 

2000

 

 

 

 

 

 

 

5

8

1995

The Mystery of Consciousness

NYReview B

 

1996

1996

 

 

 

1996

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3

9

1998

Min Language Society

Basic Books

2000

2001

 

2000

 

 

2004

 

 

 

 

 

 

 

2001

2000

 

6

10

2001

Rationality in Action

MIT Press

 

2000

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2000

 

2

11

2002

Consciousness and Language

CambridgeUP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0

12

2004

Mind: a brief introduction

OxfordUP

 

 

 

2005

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

6

8

8

6

1

1

8

1

3

1

1

2

2

1

3

3

3

58


 翻訳言語の配置は大ざっぱに地図上の西から東に向けて並べたもので、したがって、最も右側の列に日本語がある。この一覧表により、どの著書がよく翻訳されているのか、また、どの言語の翻訳書が多く出ているのかが、一目瞭然である。

 よく翻訳されているのは、 “Speech Acts”と、もう一つは1984年の“Minds, Brains and Science”の、2冊が突出している。書名の印象度が高いことと、どちらもページ数が手頃で翻訳の労がほどほどであったことによると考えられる。内容 的な重要度からすれば、彼の発話行為論の完成版と言える1979年の“Expression and Meaning”と、80年代以降に彼が自らの言語論を大きく認識論一般に敷衍した、そのターニング・ポイントとなった書である1983年の “Intentionality”の2冊は、もっともっと翻訳されていてしかるべき書ではないかと思う。

 いっぽう、サールの翻訳書を多く出している言語という点では、ドイツ語、フランス語、スペイン語の3言語がいずれも8冊ずつで並んでいる。なかでも、原 著書の刊行から翻訳を出すまでの速さという点で、ドイツ語とフランス語は双璧の感がある。

 さて、気になるのは日本語訳についてである。現時点で3冊が刊行されている。坂本百大青山学院大学名誉教授と土屋俊千葉大学教授が 主に手がけている。わずか3冊しか刊行されていないのは残念だが、上述の、よく翻訳されている2冊と、もっと翻訳されるべき重要な2冊の計4冊のうちの3 冊に当たるので、 日本の研究者は、各著作の重要度に対する認識自体は的確に持っているのだろう。

 

原 書名

出 版社

 

訳 書名

訳 者

出 版社

1969

Speech Acts

CambridgeUP

1986

言 語行為

坂 本百大・土屋俊

勁 草書房

1979

Expression and Meaning

CambridgeUP

表 現と意味

坂 本百大他

誠 信書房

1983

Intentionality

CambridgeUP

1997

志 向性

坂 本百大

誠 信書房

1984

Minds, Brains and Science

HarvardUP

1993

心・ 脳・科学

土 屋俊

岩 波書店


 しかし、最も残念なことは、その4冊のうち、日本語訳が刊行されていない“Expression and Meaning”についてである。自分が大学院生当時にセミナー等でこの書を読みふけったことを思い起こすと、当時、どうしても意味がわからない箇所にしばしば出くわし、翻 訳さえ出ていればと痛感した記憶が蘇ってくる。やはり初学者には翻訳書は必要であり、貴重である。そして、読めば読むほど、それが “Speech Acts”から大きく発展していることがわかった。具体的には、発話行為論の理論体系が、適切性条件の細かい規定などにより重厚に構築されたことや、間接 発話行為(indirect speech act)の理論化によって、理論の柔軟性が増し、カバーする言語現象の範囲が大きく広がっていたことなどが挙げられる。それだからこそ、この書の日本語訳 は必要で、それがなければ、日本に おける発話行為論の 正しい理解を阻害するのではないかと当時も感じたものだ。
 この“Expression and Meaning”の日本語訳については、坂本・土屋両氏による“Speech Acts”の翻訳である『言語行為』の「訳者あとがき」に、「言語哲学に関する彼の著書はこの他に、Expression and Meaning(邦訳 坂本百大他訳『表現と意味』誠信書房 近刊)、・・・・(以下略)」と記されている。しかし、近刊と言いながら、20年を経た今も なお、この翻訳は刊行されていない。同氏が翻訳権を得ている以上、他の者が勝手に翻訳を出版することはできない。しかし、学界においてこれほど重要な著書 の翻訳権を得たからには、それを成功裡に刊行することは、単に権利と言うだけでなく、実質的意味において義務とも言うべきものである。サールの著作を日本に紹 介してきた坂本百大氏の功績は大きいが、この書の翻訳が遅れている点は、誠に残念である。坂本氏の名誉のために補足するならば、翻訳が遅延している原因は、氏本人ではなく共訳者の作業が遅延したことが主因らしい。そのため、ある時期に英断を下し、当初の共訳者を別の 人に替えて、今なお作業が進行中なのだそうである。それよりも4年後に原書が出た“Intentionality”の日本語訳が、その坂本百大氏の手で既 に9年前に刊行していることを考えれば、坂本氏個人に起因する問題ではないのかもしれないが、それにしても訳者の代表として必要な采配を振るっていただきたいと願わずにはいられない。
 それにしても原書の刊行から四半世紀を経て日本語訳が刊行されることは、そのタイムラグによる損失の 甚大さはいかばかりかと思えてならない。一つの救いは、サール自身の関心が発話行為論そのものから離れていったために、今もこの書の内容が決して過去のも のにはなっていないことである。つまり、遅きに失してはいるが、このまま出ないで終わるよりは、今からでも出すべきなのである。
 また、3冊の翻訳を見ても、最初の『言語行為』も、原書の刊行から17年後にようやく出版されている。土屋俊氏による“Minds, Brains and Science”の日本語訳は所要9年で、3冊の日本語訳のなかでは最も速いが、それでもこの書のフランス語訳とスペイン語訳が原書の翌年に刊行されているのと比べると、相当に多くの時間を要している。英語の親戚であるドイツ語やフランス語に翻訳する のと違って、全く異なる日本語への翻訳は、その分労力を要することは理解できるが、学界の正しい発展のためにも、少しでも早い刊行にいっそうの努力を期待したいものである。
                                                                                              (2006.3.26)

【追記】
 20069月に“Expression and Meaning”の日本語訳がようやく刊行された。原著から27年ぶりの刊行となるが、依然としてその価値は高い。訳文に対する批判は別の場所で行うこと とし、まずは訳書の刊行を喜ぶこととしたい。上記の一覧表は、次のように修正されることとなる。

 

原 書名

出 版社

 

訳 書名

訳 者

出 版社

1969

Speech Acts

CambridgeUP

1986

言語行為

坂 本百大・土屋俊

勁草書房

1979

Expression and Meaning

CambridgeUP

2006

表現と意味

山田友幸

誠信書房

1983

Intentionality

CambridgeUP

1997

志向性

坂本百大

誠信書房

1984

Minds, Brains and Science

HarvardUP

1993

心・ 脳・科学

土屋俊

岩波書店


                                                                                              (2007.1.26)

 【言語略称一覧】

abbr

language

言語名

Por

Portuguese

ポルトガル語

Spa

Spanish

スペイン語

Fre

French

フランス語

Ita

Italian

イタリア語

Ser

Serbo-Chroat

セルボ・クロアチア語

Dut

Dutch

オランダ語

Ger

German

ドイツ語

Swe

Swedish

スウェーデン語

Pol

Polish

ポーランド語

Rom

Romanian

ルーマニア語

Rus

Russian

ロシア語

Gre

Greek

ギリシャ語

Tur

Turkish

トルコ語

Heb

Hebrew

ヘブル語

Chi

Chinese

中国語

Kor

Korean

韓国語/朝鮮語

Jap

Japanese

日本語

 


 

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