○社会外に道徳なし 明治十九年四月二十日哲学会[warichu]東京本郷帝国大学[/warichu]に於て 加藤弘之君演説 「社会外に道徳なし」とは甚だ分かりにくき題なるべしと考ふることゆえ先づ初めに社会と云ふことから講釈をしませう。社会と云ふことは一つのきまりたる解は至りてむづかしい。世界の全人類は一つの社会であると云ふ説も有るがこゝに云ふのは若干の人民が共に合して一つの統御の権を受けて居るものを云ふので他の言葉で申せばネーション即ち国民と云ふことぢゃ。そこで此のネーション即ち社会を動植物の如き有機物に比したことは昔より有りたことなれども昔の説は有機物に似て居ると云ふ様なことで有りたが近頃に至りて社会は動植物と同じ様に全く真実の有機物ぢゃと云ふことになりた。私の知りて居る所では[rrubi]スペンセル[/rrubi]Spencer [rrubi]リリンフエルド[/rrubi]Lilienfeld [rrubi]セツフレー[/rrubi]Scha"ffle 等の人々が此の如き説を主張して居ることぢゃ。そこで社会は実に動物植物の様に生きて居て生滅することも消長することも盛衰することも総て有機物の規則に随ふものぢゃと云ふことが分りた。動植物の生理心理は矢張り社会の生理心理にもあてはまることぢゃ。 有機物は総て[rrubi]セル[/rrubi]Cell(即ち細胞)と云ふものが集合して出来て居る。[rrubi]セル[/rrubi]Cellと云ふものは矢張り一個独立の活動であることぢゃが、そこで社会にては人間が即ち[rrubi]セル[/rrubi]Cellで動植物の[rrubi]セル[/rrubi]Cellと全く同じことぢゃ。其の様なる訳ゆゑ社会は全く動植物同様に[rrubi]セル[/rrubi]Cellより集合したる所の一個の有機物ぢゃと云ふことを知るべきことぢゃ。そこで日本国民は日本国民と云ふ一つの有機物、英国国民は英国国民と云ふ一つの有機物で有ることぢゃ。 次に「社会外に道徳なし」と云ふことを説くに付ては道徳とは如何なるものかと云ふことを説かねばならぬことぢゃが道徳と云ふものは支那西洋とも古代の説には天然自然に有る所の吾人の守るべき法則ぢゃと云ふことなれども併し近頃の西洋の説では其れは甚だ間違ふたることで道徳は決して天然自然に有るものでは無くして人間社会に漸々に生し来り漸々に進化したるものぢゃと云ふ。其の証拠には道徳の開けた人民と開けぬ人民が有りて其の道徳とする所は全く表裏反対ぢゃ。如何なる訳で其の様に表裏反対して居るかと云へば昔の支那流で言ふと開けぬ者は知恵が有らぬゆゑ天然に定まりた道徳と云ふものも善悪邪正も知らぬが知恵が開けて来ると漸々に其れを知る様になると云ふなれども近頃の説では野蛮の国と文明の国とは善悪も邪正も顛倒して道徳は其の時の社会を維持し且進歩を営むの術ぢゃと云ふことで野蛮の社会では野蛮に相応した術を用ひて其の社会を維持し進歩を謀らねばならず、又開けた国では其の有様によりて其の社会を維持し進歩を謀らねばならぬ。故に野蛮の社会などでは誰も斯く為さむと思ふたのでは無からうが自然其れに相応した術が起り其の社会に相応した維持と進歩とを営むの術を得たものは漸々に栄え其れが出来ぬ社会は亡びたであらう。 今申した野蛮の有様に付て一例を挙れば盗賊を働いたり強盗などをする者を貴ぶ社会さへも有る。其の様な社会では強盗をする者が一番貴ばれる。其れのみならず強盗をする者が善でせぬ善で、せぬ者は悪ということになりて居る。其れはナゼぢゃと申せば強盗をするほどの者で無ければ社会を守ることが出来ぬからぢゃ。又生れ子を殺す風習の有る社会が有るが其の中にも女子を殺すのが多いことで其れが善いことになりて居る。其の様な社会では殺す者が善人で殺さぬ者が却りて悪人ぢゃ。其れは如何なる訳かと云ふと開けぬ社会には人口が増してはクラシが出来ぬ。殊に女子は身体も弱くて戦争も出来ぬから、なほさら殺さねばならぬ訳ぢゃ。又老人などが役に立たぬ様になると殺す社会が有ることぢゃが其れは如何なる訳かと云ふと其の様な社会では若し他の社会から攻撃されたときに足手まとひが有ると其の為めに負ける恐れが有るゆゑ本当の役に立つ者だけで無ければ他の社会と戦争をしたときに其の社会を保ちゆくことが出来ぬ。其れぢゃから働かぬ者を生かしておくと部落一般が害を被る様になるから其れ故、殺さぬのは却りて善くないことの様になりて居るのぢゃ。 昔羅馬の初めに「剛勇」と云ふ字と「徳義」と云ふ字が同じことで別に二つは無かりた。其れは剛勇即ち徳義と云ふことでありて行ひの正しい人を徳義の有る人と云ふ訳では無く強い人を徳義の有る人と云ふのぢゃから何でも強くなくてはならぬと云ふことになりて居たと見える。今いふ徳義にかなふた人でも其の時分には弱くては徳義の人では無かりた。盗賊を賞するのと同じことで何でも強いのが徳義で有りたと見える。そこで事柄が一つぢゃから従ふて字が一つぢゃと云ふことが分かるであらう。 又太古は夫婦の配偶と云ふものは全く無くて、たゞ禽獣同様に(こゝこらに犬や猫が居るのと同し様に)男女同居してゆくだけで有りたが少し開けて夫婦の配偶が出来る様になりても今現に多くの兄弟で一人の女房を共有して居る社会が有る。其の様な社会では男女共同の方が正しいので若し一人の夫が一人の女房をもつと却りて道に背くことになりて居る。 箇様なることが総て野蛮の国と開けた国と全く違ふて居る。善と悪とがまるでウラヘラで有る。其の開けの度に応して道徳善悪が定まることで其れで無ければ其の社会は立たぬことぢゃ。若し其のウラにゆけば其の社会は必ず滅びるに違ひ無い。今の開けた社会でもモトは箇様な社会から変遷して来たのに違ひ無い。其れは今から言へば道徳に背いた様なれども全く其の為めに其の社会を維持して参りたのぢゃ。これは実に余儀ないことで維持と進歩とを謀りてゆくには必要ぢゃ。其れゆゑ今申した様に今日から見れば悪人とも云ふべき者が却りて賞められ貴ばれたので其れに反して今日から見れば善人とも云ふべき者は却りて擯斥される風習になり盗賊を働いたり子供を殺したり夫婦の配偶をせなんだり老人や親などを殺すのさへも其の時には善い事になりたので其れが風習になり道徳の様になりて来たものと見える。 前に申したのは風習を比較する近頃の学者の考へであるが其れで見ると「天然に定まりた道徳と云ふものを野蛮の人は知らぬが開けて来ると漸々にそれを知る様になる」と云ふ理屈は立たなくなる。中華と誇る国でも文明を以て鳴る国でも一度は彼様な風習を通りて来たに違ひ無い。其の時、孔子や耶蘇が言ふ様なことをして居たならば其の社会は立ちはせぬ。其の時の道徳は其の時に適せねばならぬ、開けぬ時は開けぬ道徳の有るのは当たり前のことぢゃ。 昔開けぬ時分には道徳も法律も別に区分が付ては居らぬ。道徳と云ふても法律と申しても別にきまりては居らず、ただ其の社会の風習により為めになることなら賞せられて善いこととなり、為めにならぬものは悪いこととなりた。其れも進化した国では分れて[rrubi]く[/rrubi]来るのが当然ぢゃが進化せぬうちにはただ一つの風習と云ふもので有りたに違ひ無い。英国の開国史を書いた[rrubi]バツクル[/rrubi]Buckleと云ふ人が「道徳は思ひの外、早く開けてしまふて変化は無い、知恵は次第に開けて参るものぢゃが道徳は其れに反して居る」と申したなれどもこれは大いに誤りた説で道徳は右申した如く野蛮の時に在りては今日の道徳と全く違ふて居るし又開けて来た後でも今の欧羅巴と支那とは大いに違ふて居る。諸君も知らるる通り支那の君臣父子夫婦と云ふことなどは西洋のとは甚だしく違ふて居る。支那では上の方に十分、権をもたせて上の者は下の者を圧制するがよい、下の人は上に只管従順にせねばならぬと云ふことになりて居るが西洋では大いに人民の権を許してある。また支那では父子の間で子が親に対しては終身、権は無いなれども西洋では其の様なことは無い、夫婦の間でも男女同権と云ふ説が出て来るが如きは支那などとは大層違ふて居る、して見れば支那よりは西洋の方が進んで居ると思はれることぢゃ。[rrubi]バツクル[/rrubi]Buckleの言ふ様に進歩がないと云ふ様なことは無い、進歩は大いに有ることぢゃ さて法と道とは先刻も申した如くモトは分れなんだが開けるに従ふて分れて来たことぢゃが如何なる違ひに由りて道と法とが分かれたかと申すに道は他を利し法は己を利すると云ふことで分かれたのぢゃ。道と云ふものは何でも人の為めにしなくてはならぬと云ふことが本趣意で、己を利するの心を抱いてはならぬ、己を利する心はすてて只管他人の為めになることをせねばならぬと云ふこと、又法と云ふものは己を利することを許すは固よりなれども唯其の為めに他を害するの事を行ふてはならぬと云ふことが本趣意になりて居る。丁度道と云ふものは親類同士の寄り合ひで、法と云ふものは他人同士の寄り合ひと云ふ様なものぢゃ。併しこれは極度を申したことで本当は今日でもさうなりては居らぬ。希臘、羅馬で道と法とが始めて分かれて[rrubi]き[/rrubi]来た。政治上のことは法律でゆく様になりた。それから後、欧羅巴では政治上のこと至りては道徳の筋は用いひぬ、道徳は交際上におもなことで政府が道徳のことを以て責めると云ふことは無い。ただ自分の利益を謀ることは固より許すが其れが為めに人の害をしてはならぬと云ふばかりぢゃ。然るに支那は道徳を以て天下を治めると云ふ三代の主義で法律は賤しむる様になりて居る。併し支那でも三代時分と其の後の歴朝とは大いに違ひ、次第に後世に至るに及び法律が立ちて来て刑律其の外總て具りて政府のする仕事は法律の方がおもになりて参りた。併し天子は民の父母、民は天子の赤子などと云ふのは今日まで存する主義ぢゃが其れは全く昔の主義ぢゃ。其れ故政府の上でも矢張り道徳のことが、おもになりて居る様ぢゃ。それぢゃからドウも本当に分れたとは申せぬことぢゃ。 道徳は教法者が大層骨を折りて開いた。教法と云ふものも野蛮の教法と開けた教法とは大いに違ふ。野蛮の教法は道徳の意味は無くただ力の大いなるものを恐れ敬ふのみのことぢゃ。禽獣でも地震でも雷でも何でも総て人間の力で制することの出来ぬものが神様となりて居るのぢゃ。然るに進化して開けた教法では必ず道徳と云ふものが附き添ふて居る。そこで十分開けた。耶蘇教では仮令敵でも愛せねばならぬ、向ふから打ちかかりて[rrubi]く[/rrubi]来れば黙りて打たせておけと云ふ所までゆき、又仏教では人間のみならず禽獣にまで慈悲を施し決して残酷なことをしてはならぬと云ふことを教ふることぢゃ。されども其れは、まるで世界の開けた道理とは違ふて居ることぢゃ。野蛮未開の時には禽獣などが蔓延し人間の力は無かりたが人間の智慧が出来て害になる禽獣を除き用に立つものを使ふて其れで開ける様になりて来たのぢゃ。若し初めより仏教の教が行はれたらば人類は亡びたであらう。又今日文明開化になりたのも強い人種が弱い人種を打ち負かして勝を取りたからぢゃ。若し初めより耶蘇の教が行はれたらば文明は起らぬであらう。併しあまり残忍のことも沢山あるし殺伐なることも有るから教法者も其れを矯めようと云ふので右様の教を起こしたのぢゃ。曲がりたものを[rrubi]まツすぐ[/rrubi]真直にしようと云ふには真直にしたばかりては[rrubi]すぐ[/rrubi]直に元の通りになるから全く反対の点まで持て参らねばならぬことぢゃが其れと同じことぢゃ。仏法も耶蘇教も矢張り巳むことを得ぬことをしたのぢゃ。併し極めて必要なる点は越えてしまふて居ることぢゃ。所謂る[rrubi]アプソリユート ネセスチ[/rrubi]ーAbsolute necessity の点は越えて居ることぢゃ。然るに法は大いにヒカヘメなるもので唯人を害しさへせねば其れで許すのぢゃ。且法は政府が権をもちて居るから背けば罰することが出来るが道は開けた国では政府が搆はぬものぢゃから罰することは出来ぬことぢゃ。 併し道徳と雖も矢張り其の説く所の真の主義通りには参らぬものぢゃ。支那は道徳の国なれども決して己の利をすてて他人の為めにすると云ふ主義が本当には行はれぬことぢゃ。前に云ふ君臣父子夫婦でも君と父と夫との権は強く臣と子と妻の権は弱くて君と父と夫は自ら利して其れに対する臣と子と妻を害して居ることぢゃが其れが実は支那の道徳にかなふて居るものと思はれる。其れぢゃから他人を利して巳の利益を顧みる勿れと云ふ主義も本当に行はれるもので無い。其れのみならず法律の主義も矢張り主義通りには行はれぬことぢゃ。即ち己を利することを許すなれども他を害してはならぬと云ふことも矢張り今の文明と云ふ欧羅巴でも実際に十分行はれて居らぬ。啻に道徳が行はれぬのみならず法律の本趣意も行はれて居らぬぢゃ。僕の考へでは今日行はれぬのみで無く、いつまでも極十分には行はれぬであらうと思ふ。例へば英国は自由国ぢゃが貴族と平民が有りて上院は貴族が占め下院は人民の名代人が出るのぢゃが、さうして見れば貴族一般が人民の害を為してあるに違ひ無い、法律の上で一般人民を害する法が有るのぢゃ。其れなら共和政治は公明正大ぢゃから其の様なことは無からうと云ふであらうが、さうで無い。例へば亜米利加の共和政治と云ふて民権家は喜ぶが其れでも男と女とは大分違ひが有る。男には参政の権が有るが女には其れが無い。また議員を撰挙する権も亜米利加のは州によりて普通撰挙の国も有るがまた制度を立てて丁年の男子は誰でも撰挙にかかると云ふことが出来ず租税其の外、種種のことによりて出来ると出来ぬの違ひが有る。して見れば只今でも権を得たものは権を得ぬものに向ふて害を為して居るに違ひ無い。女に参政の権を与へぬのは女から参政の権を奪ふてあるので他を害する法が立ちて有るのぢゃ。則ち一方の人を利して一方の人に不利なる法律が立ちて居るのぢゃ。併しこれは多くは其の社会に必要なことぢゃから決して悪いこととは申されぬぢゃ。 又いつまでも、やまぬであらうと云ふことは政府が刑罰の権を持ちて居ることぢゃ。[rrubi]わる[/rrubi]悪いことをした人を害するに首を斬るとか又は懲役に処するとか禁獄に処するとかするが其れは悪い事をした人の為には実に迷惑の訳ぢゃ。悪い事をしたから刑罰に処するが当然ぢゃと云ふ説も有らうが悪い事をしたとて同じ人間同士で有りながら一方の人間を処罰することの出来る法則は誰が立てたことか。これは社会の為めにすておく訳にゆかぬから悪い事をせぬ人が巳むことを得ず立てた法ぢゃ。当然と云ふ訳では無けれども社会の維持と進歩との為めに必要な事ぢゃ。併し悪い事をした人から云へば政府の為めに害せられるのぢゃ。して見れば他を害することを行ふてはならぬと云ふ主義は立たぬでは無いか。人間の有らむ限りは刑罰の無くなる時は無からう。世の中が開けてくると黄金世界になるとか言ふ者も有るが其の様なことは実に夢の様な話しで国が有れば刑罰が有る訳で刑罰の有る上は悪い事をした人は到底害を受けるのぢゃ。其れぢゃから法律と道徳との本主義を云へば先刻言ふた様な訳なれども併し全く十分には行はれぬに相違ないと申すのぢゃ。 これから肝腎の話しになるのぢゃが今言ふた通りぢゃから「社会外に道徳なし」と云ふことは社会を為して居らぬ者同士の間に道徳は無い。英国とか仏国とか日本とか支那とかは各々別々の社会になりて居る。社会が進化して来た所で其の維持と進歩とに必要だけに道徳と法律とが進化して来て居ることぢゃ。其れ故ドウしても一つの社会を為さぬ者同士の間に道徳の行はれると云ふことは無い道理ぢゃ。西洋人が亜米利加や澳地利や印度などに往いて残忍のことをしたり又亜細亜各国に対して勝手次第のことをしたり忌憚なく不條理のことを為したり其れのみならず同じ開けた西洋の各国同士でも道理の立たぬ様なことをするのは互に社会を為さぬ者同士の間では当然のことであらうと思はれる。社会を為して居らぬからには自分の利益を謀るだけでありて自分の利益と他の利益と合はねば自分の利益だけ謀ればよい、他の利益を顧みる訳には参らぬことぢゃ。其れは固より当り前のこととせねばならぬ。其れは黄金世界にならぬ故ぢゃとて歎く人も有るが成るほど一応は尤もで、さうなりたいことは、なりたいなれど其れよりは各国が今日まで未だ一つの社会にならぬのが歎はしいと言ふ方がよい。各国が一つの社会になりても道徳が行はれねば其の時こそ始めて道徳の行はれぬのを歎くがよい。今各国の間に道徳が行はれぬのを歎くのは順序を失して居る。其れよりは一つに寄りて大きな社会を拵へる様にしたいものぢゃ。其れの出来ぬのを歎息するのが歎息の順序で其の後に猶ほ道徳が行なはれぬならば其の時こそ其の事を歎息すべきことぢゃ。欧羅巴人が亜米利加の土人を逐ひまくりて其の土地を奪ふてしまひ、開けた印度も奪ふてしまひ、近頃は朝鮮の領分の巨文島を勝手に取りてしまひ、安南でも緬甸でも勝手のことをして実に道徳にも何にも搆はぬ。又耶蘇教師までも其れを何とも思ふて居ぬ様ぢゃ。耶蘇教師などは小さき事には善いとか悪いとか喧しく言ふくせに、さういふ大きなことになると少しも何とも言はぬことぢゃが其れが自然今日にありては巳むを得ぬ当然の処置であるからであらうと思はれる。さりながら今日世界の有様を見ると各国の有様が昔と事違ひ商売が開け工業が開け世界の痛痒相感する様な有様になりて互に利害の関係が有る。そこで今日国と国との間には道徳に合はないことをやるが一己人同士ぢゃとて他国の人でも国内の人と甚だしく違ふては居らぬことで随分互に深切を尽すと云ふことが有る。併し国と国との間になると万国公法と言ふものが有るなれど己の利これ見ると云ふ有様でやりて居る。併し国と国との間にありても近来は交際が益々盛んになりて来たから利害を感することが多い。故に電信だの郵便だの互に條約が有り又今日[warichu]〔明治十九年四月二十日〕[/warichu]の官報に出て居た様に日本でも欧羅巴のメートル條約に加入したが又子午線のことにも加入する様になるだらう。さすれば国と国とが段々と相結合して先づ一の社会[rrubi]やう[/rrubi]様のものを為すことになり一つの法律を用ふる様になるであらう。尤もどれほど年数がたツたら、さういふことになるか知れぬことなれども今の勢ひでは段々其の運びになるであらうと思はれる。さうしたら先刻申した法律の主義と云ふものは無論行はれる様になるであらう。さうすれば世界が大きな一個の有機物になる。其の時に至りたら一つの国は有機物の一部分ぢゃから無理なことをしても国威を輝かさなければならぬと云ふことも無く彼我の差別も漸々に薄くなりて来て、そこで道徳も大いに行はれることとなるであらう。尤も其れは実に夢の様な話しなれども間違ひ無いことと思はれる。其れまでの間は各国が何分にも社会を異にして居るから其の間に道徳の十分行はれる道理が無い。今日各国の間に道徳の行はれぬは決して怪むに足らぬことぢゃ。道徳は社会の維持と保存との為めに出来たものぢゃ。其れ故、社会を為さぬ者同士の間に其れが行はれぬのは当然のことぢゃ。 さて此の事に就ては猶ほ委しく説かねば意を尽さぬなれども既に一時半を費して最早五時にもなり猶ほあとの演説も有ることであれば甚だ不完全ながら今日はこれにて了ることで御座らう。 林茂淳筆記