[warichu]速記叢書[/warichu]講談演説集第一冊 明治十九年七月発行  ○漢字やぶり 明治十七年十一月四日仮名の会員の臨時懇親会[warichu]東京芝公園地紅葉会館[/warichu]に於て 外山正一君演説 今日この席に於て演説をすることは思ひもよらざることで御坐りました。然るに演説をするに立ち至りたるは先日この会の役人の片山淳吉君がお[rrubi]いで[/rrubi]出になツて[rrubi]かな[/rrubi]仮名の[rrubi]くわい[/rrubi]会も[rrubi]だいぶん[/rrubi]大分盛大になツたに付き懇親会を催して参議方の御臨席を願ふに付ては其の[rrubi]はう[/rrubi]方にも席上の演説をせよとのこと。私は一向仮名のことに付ては不案内で私よりも既に委しく説の有る[rrubi]かた[/rrubi]方がゐらツしゃることなれば私は演説をしたいことは無い。併し仮名の会の懇親会に付て参議方も御臨席になるとのことなれば此の機会失ふべからず。一体、仮名の会員になツて居るのは考へが有るからのこと、考へが無いなら会員になツては居りませぬ。其の考へはもとより参議方どころでは無く  天子様にまでも申し上げたい位のことゆえ此の機会失ふべからずと考へまして、つまらないことなれども少し申します。 この四五日前に私の所へ今日この席に居らるる愛媛県高松の郡長兼県庁の御用掛[rrubi]いづみかはたける[/rrubi]泉川健といふお方がお[rrubi]いで[/rrubi]出になりました。一面識もないお方では有りますが、お目通りを致した所、別のことでも無い、お[rrubi]まへ[/rrubi]前は仮名の会の会員ださうだが[rrubi]みこみ[/rrubi]見込を聞きたいとの仰せ。私は別に見込は無いと申したら、一体お前は元の「かなのとも」で有るか又は[rrubi]なん[/rrubi]何で有るかとのお尋ねで有りました。私は「かなのとも」か、いろは会か、そんなことは知らないが私のはいツたのは仮名の会の[rrubi]つき[/rrubi]月の[rrubi]ぶ[/rrubi]部といふので其れが「かなのとも」であツたか、いろは会であツたか知らない。そんならナゼ月の部へはいツたといふに私は別にこれぞといふ考へも無く、昔の通りに仮名遣ひをして見ようといふ仮名組だからといツて左袒したといふ訳でも無い。ただ月の部は人数が多い、雪の部や花の部は人数が少ない、そこで月の部にはいツたまでのこと、仮名遣ひなどはドウでも構はない。ナゼそんなら仮名の組の[rrubi]うち[/rrubi]中で人の多い所へはいツたかといふに[rrubi]なん[/rrubi]何でもよい片仮名でも平仮名でも構はない、仮名遣ひを改めようがドウせうが漢字を廃さうといふものなら左袒するといふ主義で仮名のみならず羅馬字でも宜しい漢字を廃さうといふものなら何でも左袒する{左祖unicode16→袓=衣扁}。そこでナゼそんなに漢字を嫌ふかといふ問題になる。 仮名にはよい所が有り漢字には[rrubi]わる[/rrubi]悪い所が有るか、其の様に漢字を嫌ふといふはまた如何なる[rrubi]わけ[/rrubi]訳ぞといふに、いづれも[rrubi]がた[/rrubi]方にも定めし御存じで御坐りませうが抑々智識には真の智識と智識の様に見ゆるも実は真の智識の方便に過ぎざる智識が有りまする。例へば家を[rrubi]たて[/rrubi]建るとか織物を織るとか大砲を[rrubi]こしら[/rrubi]拵へるとか薬を[rrubi]ね[/rrubi]煉るとか其の外物理上化学上の智識をこちらへ得れば風雨を[rrubi]しの[/rrubi]凌ぐことも出来れば暑さ寒さを防ぐことも出来、船を造ることも出来れば敵の首を取ることも[rrubi]でき[/rrubi]出来るけれども方便の方はただ之を知ツて居ても仕方が無い。言葉だの文字などは智識の方便即ちテダテで其れを知ツただけでは役に立たぬ。されば其の方便と真の智識との関係を考へて見なければならない。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]一体、人には時の際限が有ツて一日に二十四時間あるが、まるきり二十四時間働らけるものでは無い。寝る時間も有り遊ぶ時間も無ければならぬ。そこで内八時間寝て八時間遊んで八時間勉強する。其の八時間を百般のことに使ふ訳にはいかない。されば此の八時間の使ひ様で此の国の進歩や学力の進歩が出来て[rrubi]く[/rrubi]来る。八時間の使ひ方を智識の方便の方に使ひ[rrubi]すぐ[/rrubi]過ればイヤでもオーでも真の智識を得る為めの時は[rrubi]すく[/rrubi]少なくなる。三時間方便に使へばあとは五時間になるのは知れきツたこと。それで今我が国の有様を見るにドコへ時が一番かかツて居るかといふと肝腎の智識に時をかけるが少なくツて智識の方便に莫大の時を費すことになツて居る。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]今蝶々といふにも及ばない、考ふれば[rrubi]すぐ[/rrubi]直に分ること、考へなければ分らない。それで今我が国の有様で居ますと[rrubi]もじ[/rrubi]文字を習ふヒマの為めに稲を植るヒマも水車改正の時もへづられて電信機の改正もせずに[rrubi]つくゑ[/rrubi]机の前に[rrubi]すわ[/rrubi]坐ツて字を習ひ、コレラ病の原因を見出すこともお[rrubi]るす[/rrubi]留守にして字を習はなければならない様になツて居て字を知ることが何より[rrubi]か[/rrubi]彼より大切なことになツてあるが其れも此の国独りで居れば今日の様でも宜しいが今日は我が国ばかりで成り立つことが出来ない。天下万国と交際し天下万国と競争しなければならない。ドコの国のハテとでも交際し競争しなければならない、トルピドで敵の軍艦を沈めるばかりが競争では無い。こちらで出来ないものを、あちらで善く拵へたり、こちらより[rrubi]じやうず[/rrubi]上手に拵へたり。[rrubi]やす[/rrubi]廉い物を拵へたりする者が多くあれば、こちらの物を買ふ人が減り、こちらの物を買ふ者が減れば、こちらは次第に衰微する。交易上の競争は一日一刻も止む時の無きもので病の為めに人口が[rrubi]へ[/rrubi]減らさるる間にも各国と共に競争をやツて居なくてはならない。それに平気になツて多くの字を[rrubi]あたま[/rrubi]頭に繰り込んで[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙に字ぐらゐ書いて居てはクルベーと支那人との競争と同じことで競争にも[rrubi]なん[/rrubi]何にもならない、其れこそアカンベーとやられてしまふ。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]フランスはいまだイクサを始めたといはぬを分らぬことと思ふ者もあれど実はまだイクサにならない。小さな蟻を大きな足で踏みつける様なものだが[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]其の蟻も目のさめたのでは無い眠ツて居る蟻である。だが其の蟻は字を知ツて居ることは日本人の上手な者よりは余計に知ツて居るに違ひは無い。其れでもそんな目にあふ訳なれば其れにも及ばない日本人が西洋人と競争せんなどとは、これこそチヤンチヤンをかしい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu] さて日本人は昔から支那を貴んで其の[rrubi]じ[/rrubi]字を用ひて居るから支那をお師匠さんにして居るうちは、これまでの様に字ばかり習ツて居るのが支那におハムキは宜しいが今日は[rrubi]ざんぎり[/rrubi]散切り[rrubi]ばうず[/rrubi]坊主で、つつツぽ[rrubi]そで[/rrubi]袖を着てなかなかユウチュウカンと長い毛の筆で[rrubi]へんかむ[/rrubi]偏冠りを[rrubi]ただ[/rrubi]正し二時間も三時間も手習ひなどをして居るものでは無い。ドシドシと土足で踏み込んで[rrubi]く[/rrubi]来る[rrubi]やつ[/rrubi]奴だから[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]イクラすまして居ても支那人を相手にすると西洋人を相手にするとは違ふ。支那人を相手にする気ではいかない、西洋人を相手にする気で無ければならない。若し支那人を相手にするといふ様なら支那の通りにやられてしまはなければならない。其れだから支那人に今まではお世話になツたがこれからはお前も漢字を廃するがよい、廃さなければクルベーだぞと忠告してチャンチャン坊主の毛をきり支那から留学生の一万人も二万人も西洋へ[rrubi]ゆ[/rrubi]行く様にしたい。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]この間の戦争に[rrubi]だれ[/rrubi]誰か少しばかり戦争らしいことをやツたのはアメリカへ留学したものでトルピドへ破裂丸を投げつけたは誰なるぞ。[rrubi]じ[/rrubi]字は書ける[rrubi]ヤツ[/rrubi]奴だか書けぬ奴だか知らぬが破裂丸を善く投げたり電気を善く使ふ奴が多くなればクルベー如きが、いくらクルベーでも構はない。支那の今日の通りになツたのは当り前。我が国にも二十年ほど前にさういうことが有りました。ドウしても今日の有様では西洋人と競争したければ漢字をやツて居てはいけない。漢字をやツて居て競争が出来るなら[rrubi]かツちう[/rrubi]甲丑を[rrubi]き[/rrubi]着て[rrubi]やりなぎなな[/rrubi]槍長刀を持ツて西洋人とイクサをするがよからう。漢字と西洋字と競争が出来る訳なら槍や具足にしておくがよい。かたツぱうが替ればかたツぱうも替らなければならない。併し、そこに人の気は付かない。具足を着たり[rrubi]かぶと[/rrubi]甲を[rrubi]かぶ[/rrubi]冠ツたりしてはイクサは出来ぬことは誰でも知ツて居れど漢字では競争が出来ないといふことは知らない。兎角人は一方のことより外は分らぬもので政治家は政治のことより[rrubi]ほか[/rrubi]外には取り合はず、仮名の会の[rrubi]こ[/rrubi]凝り[rrubi]かた[/rrubi]固まりは外のことには構はず夢中になツて居るから羅馬字のことを言ツても取り合はない。[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]兎角、人は一方より外には見ることを知らぬもの。併し考へて見れば外の[rrubi]ほう[/rrubi]方も分る、考へても分らないでは無かろう、考へさえすれば分るだらう。 また今日漢字を用ふるが為めに教育上実に奇々怪々なる結果が有る。漢字が有る為めに物理学の講義でも化学の講義でも動物学の講義でも植物学の講義でも実物の方はお[rrubi]るす[/rrubi]留守で字の講釈に[rrubi]どどま[/rrubi]止るのが有る。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]諸県へお役で[rrubi]で[/rrubi]出た人の[rrubi]はなし[/rrubi]話にも[rrubi]へん[/rrubi]偏がドウだとか[rrubi]つくり[/rrubi]傍がドウだとか言ツて虫の講釈をするにも虫の[rrubi]わけ[/rrubi]訳は[rrubi]と[/rrubi]説かないで字の講釈をするのが多い。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]動物学の講義でも植物学の講義でも文字の講釈に止ツて居る。これはドウしても免れぬことで[rrubi]げん[/rrubi]現に漢学先生に講釈をして[rrubi]もら[/rrubi]貰ふと[rrubi]ほん[/rrubi]本についてやるので本につかないでは出来ない。孟子の主義はドウか曽子の主義はドウかと聞くとなかなか出来ない、いつでも本を持ツて一枚一枚に一字づつ講釈をする、本を見なくては講釈をすることが出来ない。今日は物理学でも化学でも動物学でも植物学でも其の講釈の過半は漢学先生の様なものが有る。さてさて[rrubi]こま[/rrubi]困ツたことでは御坐りませぬか。 さういふ[rrubi]わけ[/rrubi]訳で有るから私は一刻も早く漢字を無くなしたいと申した所が、さう、うまくは参りませぬ。泉川君のお尋ねにドウで有うか仮名の会は[rrubi]にはか[/rrubi]俄に[rrubi]さかん[/rrubi]盛にならうか来年[rrubi]ぐらい[/rrubi]位には世の人多く漢字の不便を らうかと。私は[rrubi]あきれ[/rrubi]惘てしまツた。なかなか世間の人にそんな見込みは無い。今日の有様は反対した方にばかり流れ益々字を書く方が、はやツて[rrubi]き[/rrubi]来て字を書くことだの支那流の道徳だの礼式だの品行だのといふものが今日盛になツて来るばかり。其れだから役人などが地方へ巡回に[rrubi]で[/rrubi]出ると[rrubi]ぢき[/rrubi]直に[rrubi]まうせん[/rrubi]毛氈と[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙を持ツて[rrubi]き[/rrubi]来て名筆を揮はれむことを請ふを競ふ世の中。なかなか漢字の[rrubi]たつと[/rrubi]貴いことを知ツては居やうが不便なことを知ツて居る者は無く[rrubi]なん[/rrubi]何でも漢字が盛な有様である。ナゼかといふに漢字の教育を受けて居る人が多い。漢字の教育を受けた者が十人に八九は有りませう。だが実際[rrubi]はだか[/rrubi]裸にしてふるツて見たら字を書くことの外は知らざる者が多いで有りませう。字が書けると地方でも賞められ[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]書けぬと百姓町人までが馬鹿にする。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]其れだから役所から帰ると字を習ふ。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]習ふと益々上手になる。其れだから漢字を廃するのが益々イヤになる。[warichu]〔人々笑フ〕[/warichu]其れでよいことで有るかは知りませぬが[rrubi]なげか[/rrubi]歎はしいことは大臣や参議に名筆のお方があるので[warichu]〔人々笑ヲ含ム〕[/warichu]少輔も大輔も字を習ふ様になる。すると書記官も[rrubi]しかた[/rrubi]仕方が無いから習ふと属官までが[rrubi]こしやく[/rrubi]小癪に手習ひして[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙位は[rrubi]ほご[/rrubi]反古にしようといふ意気ぐみになる。[warichu]〔人々大ニ笑フ〕[/warichu]其れですから親王様や大臣参議方は滅多にお書きなさらぬ様に願ひたい。大臣参議が碁を好むと属官までが碁をうち、大臣参議が茶道を好むとまた茶道がはやる。これはいづくのハテでも人情だから仕方が無いが若し其れがよいことと思ふなら参議から人力車夫までやるがよい。若し茶道や名筆では外国と競争が出来ないといふ訳ならば[rrubi]たうし[/rrubi]唐紙などはやぶるがよい。墨を付けてよごしたものは、なほやぶるがよい。さればドウも今日の有様を感心して居らるる場合では無いが随分感心して居る人が多い。何が証拠かといふに安んじて漢字を用ひて居る人が多い。一刻も早く無くなすことに気を付けなければならないのに。 されどウチワばかり見て居ては[rrubi]あんしんたかまくら[/rrubi]安心高枕で得意になツて居るのも無理はない。この間の競馬会社の開業式は一日ならず二日も三日も大騒ぎ、人は[rrubi]くろやま[/rrubi]黒山の如く提燈は星の如く褒美は五六百円のものもあり、花火を打ち揚げてヒュウヒュウポンポン。また夜になツて鹿鳴館に[rrubi]いツ[/rrubi]往て見ると[rrubi]にぎやか[/rrubi]賑で押し返されぬ程の騒ぎ。其れは豆粒の中の盛なので[rrubi]そと[/rrubi]外を見れば盛でも何でも無い。他国の有様を見れば気違ひにでもならなければならない位の違ひ。余輩の如きも気違ひにならぬのは此の違ひが本当に分らぬからのこと、若し其れが分ツたならばなかなか箇様に温かい[rrubi]しとね[/rrubi]褥の上に坐ツて居ることは出来ませぬが、そんな人が少ないから漢字はなかなか廃されませぬ。 さて漢字を廃するなら方法は[rrubi]いかん[/rrubi]如何といふに今俄に廃さうといふことは出来ないが若し幾年から仮名か羅馬字になるだらう。其の用意には今から子供に教ふるに一つには字もむづかしいのは成るたけ教へず、また一つには仮名か羅馬字を用ふると国会設立の様にしたいといふなら明治百年か千年になツたら仮名か羅馬字で綴ツた文章を読ませるがよい。これは少しづつ時をかくれば覚えられる。漢字もやらせるがよいが、むづかしい漢字はよして貰ひたい。そして[rrubi]かたは[/rrubi]傍ら仮名か羅馬字で綴ツたものを短い言葉より始め、次第に長い言葉に移り、言葉より短い文章に移り、短い文章より次第に長い文章に移る様にして教へこんだなら遂には誰も漢字廃すべからずの論を唱へる人も無からう。この子供等がオトナになツて千年の後には仮名が便利になりはせまいかと思はれる。漢字を廃さうとならば先づかういふ方法。併し廃さうでは無い。廃さない方が天下の輿論で有ります。さればこの演説も時勢に適せぬムダな空論とは知れど社会には随分ムダのことも有る故ムダのことを一言演るまでで有りまする。[warichu]〔人々拍手喝采〕[/warichu]。