広日本文典例言 此書の原稿は、明治十五年に成れりしものにて、二十二年、言海を発刊せし時、書中を摘録し、語法指南と題して、其巻首に掲げてき。 さるに、爾後、更に訂正増減する所ありて、今茲、遂に、全篇を単行発刊することとはしたり。 されば、語法指南とは、説の変じたる所もありと知るべし。 書中の語法は、宗と、中古言に拠りて立てつ、奈良朝以前の特別なるは、姑く異例とせり。 其中古といふは、凡そ、 桓武の朝より、 後三條の朝までを指す。 然れども、中古言なりとて、用例の、十に八九まで普通なるに従ひて、希覯の異例なるは措きつ。 又、後の書なりとて、中古の格と違はぬ用例なるは、採れるも固よりあり。 唯、後世の口語調なるは捨てつ。 書中の立案に、先哲の説に出でしもの、固より多かり。 されど、一々、某々氏の説として挙げむも煩はしければ、姑く記さず、書中に、旧説などいひ、従来などいへる、是なり。 又、先哲の立てし説なりとて、服し難きは、もどきたるも少からず、己が立てたる新説も多し。 編次の体裁に至りては、全く己が立案なること、言ふまでもなし。されど、勉めて旧説を存せむの心にて、己が一家言には、枉げたる所、はた、なきにしもあらず、又、読む者の理会のはやからむを旨としたれば、厳格なる理論の方よりいへば、理会に便せむ方に枉げたる所も、往々あり、読む者、諒せよ。 散文と和歌とには、語格用法の、自ら相異なる所もありて、并立しがき<ママ「しがたき」?>事あり、此書、固より、散文の文法なれば、深く、和歌の法には言ひ及ばず。 典語は、散文より採りて、和歌なるは避けむと勉めたれど、和歌は、文句、簡短にして、近く、係結呼応等の法を見らるゝがおほくて、行文をして、冗長ならしめず、甚だ引用に便なれば、散文と語法の違はぬ用例は、まじへて採れるも多し。 恋歌は、一切捨てむの心にはありつれど、用例の必用なるに、己<ママ>むことを得ずして、採れるもあり、さる例には、半截して引きて、零砕なる文句となれるも出で来たり、そは、恋の意ある語句を避けむとしたるに因るなり。 又、恋歌なりとて、おのづから、夫婦母子交友の上の事のやうに、見るやうもあるべし。 引用せる書名中に、源氏物語なるは、畧して、桐壺、箒木、など、帖名のみ記せり、著ければなり。 この書と同時に、別に、中等教育日本文典といふを発刊せり。(所 用の趣意は、書名の如し、) そは、此書中の四號活字なる本文のみを、増減もせず、そのまゝに引きぬきて、別に一書としたるものなり。(此書の白文のものともいふべし、) さて、此書は、その本文のみの文典に對しては、註文ありて、廣益敷衍したる方なれば、書名に、廣の字を冠せしめたり。 此書を、高等なる學校の文法教課用とせむも可なり。 さて、中等の學校にて、前條の中等文典を學びし者、高等の學校に進みて、復た、此書を課せられむは、本文、重複せむの難もあるべけれど、然らず、既に學びし同一の文を、更に學ぶは、謂はゆる繰り返し趣義の教育となりて、力を費やさしめぬ利ありて、註文をもて、一層敷衍し、一層深きに導かむこと、却て妙ならずや。 又、全篇の紙數も、多きやうに思はるれど、本文の分は、復習の事となれば、自ら、勞せずしてはかどる所もあるべし。 又、右の中等文典を學べることなき者に、始めて此廣文典を授けむには、まづ、註文を措きて、本文のみを、初より終まで、一貫して、授けて、授け了へなば、初に立ちかへりて、更に本文と註文とを并わせて授けば、まづ、網を學びて、更に目に及ぶ事となりて、授くるにも利にして、受くるにも理会にはやからむ。 且、動詞の條の註文に、未だ學ばぬ助動詞の事を、附説してあるやうのことも多ければなり。 又、此書と同時に、別に、廣日本文典別記といふをも発刊せり、そは、此書の毎節の考證余論等を集めて記したるものなり。 およそ、此書を読まむ者は、必ず、その別記を参見せよ、さらずば、作者の意を解しかぬることもあらむ、誤解することもあらむ、但し、受業の学生にありては、別記を見むこと、無用ならむ、却て余論に迷ひを生ずべければなり。 この例言にいふべき事にて、別記の例言序論に譲れるも多し、就きて見るべし。 教授法の私案などもあり。