〔読後記〕 『そして考』を読み終えて、そして……

 

 
 
 
 

 『そして考』(文藝春秋社)を読んだ。昨年、『おどるでく』で芥川賞を受賞した室井光広の作品である。ジャンルは……随筆のようでもあり、淡々とした学術論文かと思えば、ラディカルな論説文にも読める……けれども、結局は小説ということになろう。その読後感想文を書こうと考えたが、読後の私自身、おのれの言葉が漬け物石の半面にとどまることを恐れて、いかにして墓石の半面を与えんとするか……、こんなことを考えているうちに、やはり私の文にも晦渋な重しが乗ってきた。
 「文学」の最後の講義を終えた後、一人の学生T君が私に一冊の本を差し出して、「これを山岡先生に読んでほしいので、差し上げます……」と言った。それが『そして考』だった。唐突なできごとだったが、この本の帯に記された「あとがき」の一節に注目した。

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 「私にとってあらゆる言葉は双子座の星座を作っている。健全な伝達の手段としてのハタラキはつねに言葉の半面でしかない。コミュニケーションの道具であると同時に(&)、祈りをささげるヨリシロでもある。画然と二つに分かれているのではなくのように相互補完的な構造になっているのだ。(中略)言葉がもしも、日々の漬け物を作るための押し石のようなものなら、たぶん私の弁明はいったん声になる。だが死者を供養する墓石でもあるとしたら、と考える時声は再びくぐもる。漬け物石&憑き物石の双子座が私の文に晦渋な重しを加えるという他ない。」
 私はこの作者に記号論の素養があることをすぐさま了解した。T君がなぜこれを私に読ませたいのかも了解した。私は遠慮するT君に、本の代金千五百円を支払った。
 ちなみに、右の中略の箇所に実際に書いてあったことは、「これまでの作品の読者から難解だという率直な感想をちょうだいした。読んでいただいただけでも私は感謝する。そして、声にならない弁明をつぶやいている。」という、一つのパラグラフであった。

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 大学の教壇に立って、満五年が過ぎた。専門科目も担当しているが、どういうわけか一番楽しんで講義してきたのは一般教育の「文学」であった。一般教育だから、私が所属する学科とは異なる、経済学部や法学部の学生を対象とした「文学」をも担当する。かつて、大学教育の中でパンキョウと言えば、蔑称であった。それは同時に教養課程担当や語学担当の大学教員を、学問の権威の世界から隔離しようとする差別思想がもたらした差別用語でもあった。現在は、大学専任教員に、そのようなパンキョウに専従する者はいない時代ではあるが、科目そのものの重要さ、言い換えれば教員の側の講義に対する熱心さにおいて、その差別は今もなお生きていると言わざるを得ないであろう。私とて、言語哲学を専門とする人間であって、文学というものにはこれまで素人の趣味程度の接し方しかしていない。そんな人間に「文学」を担当させること自体が、いかにそれをないがしろにしているかの表れとも言える。しかし、私は無理もせず背伸びもせず、自分が語れることだけを、否、語りたいことだけを語ろうと務めてきた。私の「文学」の内実は「記号論入門」であり、さらにその内実は「人間学はどこにあるか」というものであった。一部の学生から、「先生の講義のどこが文学なのか」という疑問文を、ある場合は抗議として、ある場合は親しみを込めたアイロニーとして投げかけられもした。しかし、自分がおもしろいと思っていることを愉しみながら語ることこそ、聴く側にとっても楽しいはずである。私とて、講義中に様々な文芸作品を自論と結び付けて紹介する努力も行った。やや、牽強付会の感もあったが。「記号論」は、文芸評論の方法論ともなっていたのだから、公的な弁明もできなくはなかったのだ。
 ともあれ、この楽しい「文学」の講義もカリキュラムの改正とともに、今年度で終ることとなった。最後の講義を終えた後、いつも講義後の私をつかまえて疑問を投げかける学生T君が、私に差し出した本が『そして考』だった。これは、私の拙いながらも誠実に行った講義へのせめてもの承認のプレゼントと思って私は受け取った。そして読むことにした。ただ、T君があまりに貧乏そうな風貌なので代金は支払ったのだ。

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 主要な登場人物たる氷山氏の長男の名は「共時君」であった。「共時」という語がいかなるタームであるかがすぐにわかるのは記号論の素養がある人だけだろう。しかも、本作品中に頻繁に見られる、無関係のものを「そして」でつなぐ作業は、言葉に潜むアナグラムの力を探求した晩年のソシュールの仕事を彷彿とさせる。
 しかし、どんなに記号論の素養があっても、あのような「あとがき」を書く人は、記号学者にはなりえまい。言葉が憑き物石でもあることを知る者が文学者となることは必然である。文学者は「文の学者」ではない。「文学の者」である。故に、記号学者とも言語学者とも異質の存在である。しかし、だからといって私自身は、自分を「言語学者」だと定義しようとは思わない。それは定義する類のものではなく、私という人間の自然なる仕事を、構造言語学者がアメリカ・インディアンの言語を記述(describe)するかのように記述していった時に、それを範疇に収めんとする行為が行われて初めて、何者かになるのだ。
 私のことはどうでもいい。室井氏に漢文や古文書の素養もあることは、その語彙の豊富さによって知ることができる。近々、漢字検定試験なるものを受験してみようと考えている私にとって、本書はいい勉強になった。学殖を披瀝す、旗幟鮮明、鍔、襞、朦朧、疚しい、秘鑰、精進潔斎、杵柄、揺曳、愁眉を開く、……。これらの語彙を自在に読み書きでき、意味を説明できる者はそう多くはいまい。と言いながらも……、ここに挙げたいずれもワープロが一発で変換してくれた。私が無知だっただけなのか。それとも、ワープロの方が優秀なのか。
 しかし、彼の語彙における、真の豊富さは、アナグラムを発見する(創造する?)ことにこそある。アナグラムは一見すると、ダジャレのようにも読める。そもそも出てくる地名自体が何だか、ダジャレっぽい。一旗(いっき)通りが一揆から来ていることを筆頭に、三枚田(さんまいだ)はナンマイダのもじりのようだし、成崖下(ないがした)には、明らかにナイガシロの意味が読み取れる。登場人物も、共時君の父氷山氏の名は氷山一角と書いてヒヤマカズミと読むという。それだけではない。アナグラムは随所に見られ、一揆にひっかけて一気も出てくる。さらに、散佚&三一、メタノイア&メタセコイア、イマジン&ひまじん、苔&虚仮、こけし&子消し、……。その極めつけは、この作品を貫く「お題目」たる「そして」の化身である「と」である。共時君の八百屋の帽子に記されたひらがなの「と」、将棋の歩兵の成り金である「と」、ト音記号の「ト」、「私」の生家の土蔵についていた屋号の「ト」、芝居の「ト」書きと、そこに頻発する引用の助詞「と」、……。お題目の化身「と」は、その音だけをたよりに、様々なイメージと結び付けられて、意味を肥やしていく。そして、これらの本来無関係のものを結び付けていく行為それ自体が「と」であり、それはイマジンとひまじんとを結びつける「&」である。自らの形を自らの機能の中に埋め込んでいく……。フラクタル幾何学のようなこの構造が意図するところは何か。この問いに私が答えを与えることはない。それは、お題目そのものたる「そして」の言葉の多方面への広がりを鑑賞することにのみ託されている。

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 「そして」が最初に登場するのは、江戸時代に「私」の郷里に発生した農民の一揆組織「そして講」である。「対等のものを結びあわせるツナギ」という漬け物石の言葉に、「そしてそしての声に数珠つなぎにされし……」との文句に表現された憑き物石の言葉。この双子座の「そして」が、「大貴族というものは、農民と同じように、われわれが学ぶべきことをひきだしうるほとんど唯一の存在である」といった主張を生む。言葉は自在である。本来対等でないとされたものをも、対等に結びあわせるツナギにすることができるのだ。
 ふと考えた。この作品は本当に小説なのか。つまりフィクションなのか、と。小説は常に過去形で語られる。過去のことであればこそ、それは事実か虚構かのいずれかになる。しかし、もしこの作品が過去のできごとに事寄せて、実は現在未来に何かを成そうとする文章だとしたら……。ノストラダムスの大予言が事実か虚構かは、そこに述べられた時間がすべて経過しないことには決定しない。まして、予言ではなく、当為の主張だとしたら……
 作者(「私」?)は、これを予言とも主張ともせず、ただ「幻視」としている。第一、作品中の「私」は、小説の登場人物としての「私」なのか。それとも作者室井光広氏なのか。「私」にも意味が多重に重ねられているのかもしれない。
 ともあれ、奥の奥まで読み過ぎることを一旦やめにしよう。

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 「そして」に憑き物石の半面をさらに与えたのが、氷山先生の郷土史の「方言抄」からの引用とする次の文である。
 「特殊用法としての『そして』は接続詞ではなくむしろ感嘆詞に属し(中略)詠嘆・慨嘆・悲憤・痛憤の『そして!』と筆者は名づけている」
 挙げられている用例は「宿題もしないでそうやっていつまでも遊び呆けていろ、そして!」であった。妙な方言である。作者(「私」?)によると、この憑き物石の言葉の後は断崖絶壁らしい。命令文で追い詰められた後の、腹をくくる瞬間が「そして!」なのだ。
 一棋町の一角の大衆酒場で聞こえてきた大学生の叫び、イッキ! イッキ! はアナグラムだった。これを背景に一揆の蘊蓄を傾ける氷山先生を前にして、「私」は、ソシテ! ソシテ! の幻聴を聞く。

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 社会人となった「私」は、再会した氷山氏と、「そして」で結び合される対等な関係となっていた。その氷山氏が成した仕事こそ、古書界の「そして講」だった。氷山氏は自らの古書店で、伝教大師全集に「散佚・徳一全集」と記した表紙をつけて売り出した。対立した最澄と徳一を「そして」で結ぶ強引な所業をやってのけたのだ。そして「私」は司書として、自ら勤務する図書館に買い入れるという、共同作業をやってのける。伝教&徳一を結ぶ&は、権威&庶民とを結ぶ&とイコールであった。ここでも「そして」はフラクタルな構造を成している。
 破局と奇跡を結ぶのも&ならば、破局を凝視し尽くす者こそ奇跡を見届ける者であり得る。「私」はメタノイアを「そして」「そして」の言葉を道具に探し続けているのだ。魂の遺失物係りに「そして!」と書かれた届け出を提出しているのだ。
 そんな中で「私」が発見したメタノイアは、氷山氏の長男共時君が始めた「そして耕」と共に生きることであった。「そして耕」とは郷里で土地所有者から共同耕作の委託を受けて農業を行う仕事であった。「私」は郵便屋と新聞屋が&で結ばれるこの村で、新聞配達をしながら、「そして耕」の広報活動を行う。三十七歳というメタノイアの年齢の「私」は、「そして」によって奇跡を得たと言ってもよい。
 憑き物石の言葉に憑いているのは、何だろう。文学的&情緒的&宗教的&奇跡的&……。&の先に何を続けてもよいのかもしれない。
 「私」ならぬ、私のメタノイアはまだ四年先である。今のうちから遺失物の届け出を出しておこう。結局、T君が私にもたらしたものは……、そして!

(『Oracion』モス・クラブ刊より)
 


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