バークレー日記

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)


Jan/25/2005 サール先生のゼミナール

Yamaoka&Searle.JPG (写真:Moses Hall 1階のサール研究室にて)

 
 先週から春学期(spring semester)が始まり、サール先生のゼミナールも今日で二度目を迎えた。

 自分は創価大学でゼミナール(以下、ゼミ)を持っているが、自分自身が担当教授としてではなく、一参加者としてゼミに参加するのは大学院時代以来、十数年ぶりである。筑波大学大学院での授業はすべてゼミ形式だったので、毎回提示された資料を読んで参加するのは決して楽ではなかった。とは言え、基本的に研究が好きで大学院に進学したので、一つ一つの資料を読むこと自体はそれほど苦にはならなかった。ただ、科目によって英語の文献を講読して討議するゼミもあり、それが当時の自分には相当な負担だったことを覚えている。心理言語学のゼミで、まるまる一冊の洋書をポンと渡され、その内容を要約して来週のこの時間に報告するようにと言い渡されたときは青ざめた。たいへんな緊張感のなか、ほとんど徹夜つづきで読み続けて何とか発表は行ったが、寝不足の影響もあって、発表しながら自分が話していることがわからなくなるぐらい舞い上がった状態で発表し、先輩院生の批判的コメントに対してしどろもどろで答えた苦い思い出として、わたくしのなかに残っていた。

 アメリカに来た今、サール先生のゼミに参加するということは、読むべき文献がすべて英語なのは当たり前で、それだけでなく発表も討議もすべて英語となる。あの苦い思い出の再現か、あるいはそれ以上に大変なことになるのかとも恐れたが、サール先生に客員研究員として受け入れていただいた以上、ゼミに参加しないことほどもったいないことはなかった。昨年四月の渡米時は、前年の春学期が既に半分を終えていたこともあり、サール先生自身がゼミへの参加をあまり勧めなかったので、わたくしも遠慮した。8月下旬からの秋学期(fall semester)では彼はゼミを開講していなかった。それで新学期を迎えた今月に入って彼の研究室を訪ね、改めてゼミへの参加を申し出たところ、今度は大いに歓迎ということだった。秋学期のうちに論文指導でやり取りをしたことでわたくしの研究にも関心を持ってくれていたので、一度発表もしてみなさい、とのことだった。

 それにしても先週第1回のゼミに出席して、いろいろなことに驚いた。まず、その受講者の顔ぶれに驚いた。このゼミは大学院生に単位を出すために開講しているものだが、参加者約15名のうち大学院生はその半数の7,8名で、残りの半数は、私と同じ客員研究員や同学部の他の教授やサール先生の助手など、単位を必要としない、いわゆるfaculty memberであった。客員研究員のなかには、わたくしがかつて訪問したことがある中国長春市の東北師範大学の学部長もいたし、台湾国立政治大学の助教授もいた。この方々とは、立場も同じで東アジアから来ているという共通性もあり、友人関係を結ぶことができた。彼らも英語が堪能だが、やはり中国語なまりがあったので、わたくしが孤立感を感じずに済むような救いとなる存在でもあった。ドイツやオランダから来ている客員研究員もいた。彼らは見たところ50代、あるいは60代と思しき風貌であった。みな、わたくしと同じように、ジョン・R・サールという言語哲学の大家、さらには現代思想のキーマンとも言うべき人物に、直接接触することを目的として、世界中から集まってきていたのだ。もっともゼミの討議に積極的に参加するのは、そうした学者陣だけでなく、若い大学院生にも鋭い論陣を張る優秀な人が何人もいた。まさに知の最先端を求めて集ってきた人々と言ってよかった。

 それ以上に驚いたことは、第1回のその日にサール先生が提示した文献資料は彼自身によるまさに執筆中の論文草稿だったのである。サール先生は、この論文をこのゼミのメンバー以外に見せないように、また、他所でいっさい引用したり、参考文献欄に記したりしないようにと念を押した。そういうことに危険性を感じるのなら、ゼミで用いなければよいのだが、それを敢えてゼミで用いたのは、ほかでもなく、彼は院生や研究者仲間の意見を聞いて、自らの思索に活かしたかったのである。じじつ、今日のゼミでは、非常に活発な討議が行われ、サール先生は満足したようすだった。

 そして、最も驚いたことはその論文の内容である。サール先生との約束を守るならば、その完成稿が公刊されるまでは、タイトルや内容の一部をここに記したり、引用したりはすべきでないが、この一週間、この論文草稿を読破した印象をごく簡単に述べることぐらいは許してもらえると思う。
 サールは最初の主著 Speech Acts を著した1969年から36年を経た今日、73歳の年齢にして今なお発展しつづけている。しかもその関心は、初期の発話行為論から「志向性」(Intentionality)の提示によって、人間の主観世界のあり方を記述する、一種の認識論へと展開され、そうした認識論的な成果のうえに、今再び言語論に回帰しつつある。それも初期の言語論よりももっと深化している。つまり、人間の身体の成り立ちや、人間の行動様式のありさまなど、人間存在の記述と一体化した言語論へと深化しているのである。彼は20世紀の思想家というだけでなく、21世紀初頭においても現役として新たな知見を残した人物として、後世の哲学界に影響を残すことだろう。

 このゼミに参加することで、わたくしはこの凡庸な知恵をもって、彼が創造しつづけている知見からどれだけのものを学び取ることができるのか、それを問いつづけることになるだろう。できることなら発表もしてみたい。ともあれ、数ヶ月しか残されていないバークレーでの日々に悔いを残さないためには、サール先生からできる限りのものを吸収していきたいと心に期している。

[]英語seminarの発音から言えばセミナーと表記すべきだし、サール先生自身の発音も耳に残っているのだが、日本の大学教育における演習、すなわち少人数形式による輪読、研究、討論の場は、ドイツ語Seminarの音写に当たるゼミナールの通称、さらにゼミの略称で呼ばれるのが慣例となっているので、ここでもそのように表記することにする。日本語でのセミナーはむしろ講義、講演形式のものを指すことが多いようである。



 

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