バークレー日記
山岡政紀(YAMAOKA Masaki)
久々にオフの1日。BARTに乗って、終点のリッチモンドまで行ってきた。特にこれという当てもない。アメリカでは車を持たないわたくしに
とって、BARTは非常に便利な乗り物だ。渡米以来、何度利用したかわからない。海底トンネルを通って、わずか30分でサンフラン シスコに着いてしまうのもありがたい。UCBの西方、バークレー市の中心街の地下に、“バークレー駅”はある。わたくしのアパートから駅までは徒歩約8分
だ。いつもは南行きのサンフランシスコ方向の列車に乗るが、反対方向のリッチモンド行きにはあまり乗らない。今日は、それに乗って、BART の終点がどんなところか見てみよう。ただなんとなく、そう思った。
BARTの駅前はどこも殺風景で、駅前がいきなり大駐車場だったりする。日本の都会なら、夜の駅前は仕事帰りに仲間と一杯やる通勤客で賑わっている。概
して駅前は繁華街で地価が高い。アメリカの場合、駅前に人は住みたがらないし、地価も安い。
アメリカといえば車社会。かつ、格差社会。だから、電車で通勤するような客は、車が買えない貧困層が多いという。たしかにBARTの乗客には、あまり身
なりのきちんとした人は見かけない。そもそもアメリカという国は、会社でも日本のようにスーツにネクタイという決まりきったサラリーマン・スタイルとは限 らない社会なのだが、ましてBARTの車内でスーツ姿の人を見かけることは、非常に珍しい。また、車内には比較的黒人が多い。私は黒
人に何の偏見もないし、アメリカで知り合った親しい友人のなかに黒人も多くいるが、アメリカという格差社会の貧困層を、いまだに黒人が多く占めているとい う事実にも目を背けることはできない。
だから、富裕層や中間層の人々にとって、BARTの乗客が乗降する駅前は、どこかならず者が行き交う場所という風情があり、住みたがらないことはもちろ
ん、近づくこともないというのだ。駅前の大駐車場には土地の狭いサンフランシスコに車で乗り入れることを避ける中間層の人たちがやってきて、そこにマイ カーを駐めてBARTに乗り換える。大会社の重役なら、大都会でも駐車スペースの権利を持っているはずだ。では、そういった富裕層はどこに住んでいるのか
というと、小高い丘の上だ。バークレー一帯は、400〜500m級の小さい山並みが、サンフランシスコ湾と
平行して細長く南北に走っている。ちょうど神戸の六甲山脈を少し小ぶりにしたイメージだ。その中腹に富裕層の高級住宅地がある。豊かであればあるほど高い ところに住む。経済力と住宅の標高が正比例するという、わかりやすい社会だ。UCBのキャンパスも平地から丘にまたがっていて少し傾斜している。
BARTはというと、もちろん、湾に近い平地か、またはその地下を走っている。そんなわけでBARTの駅前はどこも拍子抜けす るほど殺風景だ。ショッピング・モールはたいてい駅とはまったくかけ離れた場所に、やはり大駐車場とともに存在している。
それにしても、リッチモンドの駅前は本当に何もなかった。手に持っていたタウン紙に日本風のラーメン店の広告が載っていて、住所がリッチモンド と書いてあったから、駅前の公衆電話からその店にかけてみた。駅から歩いていくにはどうすればいいか、と訊ねてみたが、この店はとても駅から歩いて来られ
る場所じゃない、幹線道路に面していて、どの客もたいてい車で来る、とのことだった。広告のラーメンの写真がたいそう旨そうだっただけに、これをあきらめ ざるを得なかったの
は実に残念だった。しかし、だからといって、駅前にちょっくら入れるような食堂など、さっぱり見当たらない。15分ぐらい歩いたところに、中規模のショッ ピング・モールがあり、その中のサンドイッチ店で、飽き飽きするほど最近よく食べている大型のサンドイッチを食べた。人からアメリカ料理ってどん
なの?と訊かれたら、わたくしはきっと、サンドイッチだと答えるだろう。そのぐらい、アメリカのサンドイッチは印象的だ。もちろん、日本のサンドイッチと は似ても似つかぬ代物で、ビッグサイズの大切りのパンに、ステーキなどの肉料理や、魚料理がサラダとともにはさんであり、決して軽食などではなく、ディ
ナーのメイン・ディッシュとなり得る立派なものだ。一個で1500`iはありそ うなほどのボリュームのものもある。リッチモンドまで来たということに満足して、サンドイッチに文句を言うのはやめて、そのあと意味もなく殺風景な街を散
歩し、小一 時間ののち、再びBARTに乗って、今度はいつものサンフランシスコ方向へと向かった。
☆ ☆
子どもの頃、京阪京津線の路面電車が走る大通りに面した家で育った私にとって、電車というものに格別の愛着があるし、不思議と電車に乗る夢をよく見る。
しかし、アメリカという社会では、電車の影はきわめて薄い。近距離では車社会であり、長距離輸送は飛行機が当たり前の国だ。大陸横断鉄道が歴史を創ったの も今は 昔。今日のアメリカで長距離鉄道と言えばカリフォルニアでは、かつての大陸横断鉄道の一部を引き継いでいるアムトラック(Amtrack)があるが、これ も現状、その役割の大半は貨物輸送である。旅客輸
送は1時間に1本しかなく、しかも時刻表どおりに列車が来ないことでも有名だ。プラスマイナス15分ぐらいの幅は覚悟しておかねばならない。電化はされて おらず、輸送の動力はディーゼル・エンジンである。日本ならどこの田舎のローカル線かという風情である。いや日本のローカ
ル線でももう少し時刻表どおりに運行するはずだ。
そんな、車・飛行機社会のアメリカで、ほぼ唯一と言ってよい、都会の通勤電車が、サンフランシスコとその近郊を結ぶBART(Bay Area Rapid Transit)である。しかも、1972年に開通したとは思えないほど、最先端の鉄道技術が用いられており、BARTを見る限り、やはりアメリカは科学
技術先進国なんだなあ と感嘆する。なにしろ、開業当時から既に全線の運行がコンピューター制御による自動運転を採用している。先頭車両に乗っている乗務員は運転手ではなく、車
掌らしい。長距離鉄道の衰退ぶりは、必要がないからこそであって、技術力や経済力を注ぎ込む必要さえあれば、BARTぐら いのものは作れるという、アメリカの誇りを見せつけられているようである。もっとも、そのBARTの利用者が、貧困層かせいぜい中間層というのも、何だか
皮肉な話のようでは あるが。
BARTは、サンフランシスコ市街と、サンフランシスコ湾をはさんでその対岸にあるオークランド市街を海底トンネルで結ぶことを目的として建設された。
地上のベイ・ブリッジは当時既に慢性的な渋滞だったため、これを緩和する必要に迫られていたという。そして、両都市を中心にベイ・エリア近郊に4つの路線 が伸びている。その後、サン・ブルーノにあるサンフランシスコ国際空港にも延伸した。総営業キロ数は167`b。全線に43の駅がある。サンフランシス
コ、オークラン ド、バークレーの3都市の市街では地下を走り、それ以外では高架橋の上を走る。したがって踏切は一つもない。踏切がないからこそ、自動運転が可能になるの
だ。電力は第3レールから取る方式なので、高架橋 上に外から見える架線はなく、さながらモノレールの軌道のように見える。車両は4両から10両編成まであり、ステンレスの軽合金の車体である。加
速が非常によく、発車してからトップスピードに乗るまでの時間が短い。しかも音も静かで、まさに疾走するというイメージである。
「世界の地下鉄」といった書物やサイトを開けば、たいていの場合、サンフランシスコの地下鉄としてBARTが紹介されている。たしかに、サンフランシス
コ最大の大通りであるマーケット・ストリートの地下にもBARTが走っていて、エンバーカデロ、モンゴメリー・ストリート、パウエル・ストリート、シ ヴィック・センターの四つの地下駅があるが、実際には、全線の多くは地上の高架
橋である。
BARTの成功は世界に刺激を与え、アジアでも、香港のMTR、シンガポールのMRT、台北のTaipei MRTと、相次いで、全線地下高架・自動運転の大都市輸送システムが作られている。
これらを総称する普通名詞は何かないのかなと思う。
鉄道大国・日本でも、この分野ではむしろ遅れを取ってきた。そんななかで、第2常磐線として長年の夢だった、つくばエクスプレス(秋葉原−つくば間、通
称TX)が、今年の8月24日開通したとの報を、ニュース・サイトで見た。これなどはまさに全線地下高架か つ自動運転であり、このカテゴリーに入る路線である。陸の孤島と言われた第三の故郷・つくばも、これできっと行きやすくなるに違いない。帰国したら、さっ
そく乗ってみたい。今から楽しみだ。
以上、五つの高速鉄道を一覧表にしてみた。右端は、私自身が最初に乗車した年を記した。もちろん、乗った回数ではBARTがダントツの一位である。
city |
abbr. |
transit systems |
length |
station |
open |
I rode |
|
BART |
Bay Aria Rapid
Transit |
167.0 |
43 |
1972 |
2005 |
|
MTR |
Mass Transit Railway |
80.4 |
49 |
1979 |
1994 |
|
MRT |
Mass Rapid Transit |
89.4 |
51 |
1987 |
1995 |
|
MRT |
Metro Taipei |
74.4 |
69 |
1996 |
2000 |
|
TX |
Tsukuba Express |
58.3 |
20 |
2005 |
2006 |
※ 帰国後の2006年5月につくばエクスプレスを利用して筑波大学を訪問したので、表に加筆した。
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