バークレー日記
山岡政紀(YAMAOKA Masaki)
きょう7月4日(Fourth of July)は、アメリカ合衆国の独立記念日(Independence Day)。アメリカの誕生日だ。1776年のその日、独立宣言書に署名がなされて以来、アメリカは229歳を迎えた。今や世界大国となったアメリカだが、
今日のこの繁栄の原点であるこの日を、国民は心から誇りにしている。日本の建国記念日とはずいぶん趣が異なる。
アメリカ国民がこの日を祝う最大のイベントは何と言っても各地の花火大会だ。花火は大勢の人々がめでたい気分を共有するイベントである。日本でも多くの
祭が、その終わりを告げる名残惜しい夜に、最後のどでかい花火を上げて、皆で歓声をあげる。野球場ではホームランが出たとき、打者がダイヤモンドを回るな か、大きな花火を連発させ、観客を大喜びさせてくれる。わが創価大学で例年秋に開催される創大祭でも後夜祭に花火を打ち上げる。学生たちが友人と肩を組んで見上げる花火は生涯のよき思い出となろう。
きょうはここバークレーでも花火が見られると聞き、同じアパートに住むクレイグを誘って花火を見に行くことにした。クレイグは6月のいつだったか、洗濯
室でたまたま顔を合わせたときに、わたくしが日本人であることに気づいて日本語で話しかけてきてくれた青年だ。碧眼、金髪、長身の典型的なアメリカ人青年に見えたが、その流暢な日本語に驚いた。その縁で、その後、食事に行くなどして親しくなったのだが、アメリカで一度大学を卒業したあと日本に渡り、働きながら合気道を習うなどして日本で7年間を過ごしたという。日本語がじょうずなわけだ。現在は、UCBで物理学の学位を取るための準備として研究生をしているのだという。
最初はクレイグと二人で花火に行こうとしたのだが、どこで見られるのか詳しいことを聞こうとジョージに電話したところ、自分も花火をいっしょに見に行きたいと行ってくれたので、三人で行くことにした。たまたまジョージも合気道の経験があり、二人は初対面から意気投合し、花火に向かう車中でも早口の英語で
楽しそうに会話していた。
花火を観るには市内で最高のスポットと言われる「バークレー・マリーナ」に着いた。サン・フランシスコ湾の海岸から出島のように突き出たこのマリーナは
ヨットの係留場・発着場であり、おびただしい数のヨットが係留されていた。ヨットの持ち主はバークレー・ヨットクラブと契約して、ここにヨットを置く。そ して、マリーナの使用料、ヨットの管理費用などを会費として支払うことになっている。わたくしたちは渋滞を用心して早めに出たので、まだ明るい6時半ごろ
にはマリーナに着いてしまった。そこで、マリーナの一角にあるクラブハウスのカフェでコーヒーでも飲もうということになった。ところが、そのカフェでは会 員証を見せろという。どうやらヨットクラブの会員なら無料でコーヒーが飲めて、そうでない人はお金を出しても飲めないらしい。クレイグがいくら出せば会員になれるのかと聞いたら、入会金は500ドルだとの返事が返ってきた。かれは「コーヒー一杯で500ドルは高いね」と言って笑った。そこを出たところにト
イレがあったが、そこも会員専用らしく、暗証番号を入力しないと扉が開かないしくみになっていた。わたくしが「トイレ一回で500ドルはもっと高いね」と 言ったら、3人で大笑いになった。
わたくしたちは埠頭の一角に腰をかけて、対岸に位置するマリン郡の山並みに夕日がゆっくりと沈みゆくのを見つめながら、話をした。クレイグは笑顔の絶え
ない、そして何ごとにも前向きな好青年だ。それに日没とともに涼しくなってくれるにつれ、軽装で来てしまったわたくしに、寒くないか、上着を貸そうかと気 遣ってくれたりもして、そういう親切な一面にも好感をもった。ジョージとのあいだでは英語で何やら社会のこと、人生のことを話し合っていた。わたくしを交
えて3人で話しているときは少しゆっくり話してくれるのか、会話がちゃんと成り立つのだが、かれら二人だけでの話になるとスピードが速いのか、使う語彙が 豊富になるのか、わたくしが会話についていけなくなった。ともあれ、あとで聞いてみると、二人とも意気投合し、また会って話したいと双方が言ってくれたの
で、3人で来てよかったと思った。
バークレー・マリーナの向こうに沈む夕日 談笑するクレイグとジョージ
何だかんだと語り合っているうちに、サン・フランシスコ湾は漆黒の海となり、対岸に見えていたサン・フランシスコ市街の高層ビル群も、あの有名な金門橋
も暗闇に消えてしまっていた。時間とともに訪れる人は増え、この狭いマリーナに、しかも暗い夜に、優に一万人は超えるのではないかと思われるほどの大観衆 がいつしか集まっていた。午後9時半、あたりを照らしていた照明が突然消え、停電のような状態になったが、どうやらこれが花火開始を意味していたらしく、
大群集の中から歓声があがった。
一つ、また、一つと打ち上げ花火が上がった。わたくしたち3人も群集に混じってそれぞれの花火に歓声やうなり声を上げて楽しんだ。花火そのものは日本で
見るものとそう大きな違いはなかった。少年時代に浜大津の湖岸から見た琵琶湖の大花火大会は、特大の花火が真上に打ち上がり、その迫力は怖いぐらいだった が、そうした日本での花火に比べるとややこぢんまりとしているようにも思えた。それでもアメリカの人々とともに独立記念日を祝う花火を見上げることに、感
慨があった。
対岸の方向を見やるとそこでもどんどん花火が上がっていた。距離が遠いので、目の前のバークレーの花火と比べるとずっと小さく見えるのだが、クレイグた
ちは、サン・フランシスコの花火のほうが大きい、これは市の財政力の違いを物語っている、などと口々に論評していた。ともかく、近くの大きい花火と遠くの 小さい花火を同時に見るという光景は初体験であった。バークレー・マリーナからはよく見えなかったが、隣のオークランドの沿岸でも花火が上がったらしい。
三つとも見えるスポットもあるという。一大都市圏であるベイ・エリアの繁栄を象徴して新鮮なものがあった。
10時30分ごろだったろうか、最後にドドドドと連発の花火がけたたましく打ち上げられ、夜空が昼間のように明るくなったそのとき、大群集のあちこちか
ら歓声やら、何かを叫ぶ声があがり、華やかさの満ちあふれるなか、花火大会は終わりを告げた。大群集に混じりながら歩いて車までもどり、興奮の冷めやらぬ なか、アパートまでたどりつき、クレイグ、ジョージと別れた。
世界平和の未来を担うアメリカの青年たちとともに見上げた花火を、アメリカ独立を祝う人々の思いの象徴として、生涯記憶にとどめておこうと思う。
バークレー・マリーナから見る独立記念日の花火
創価大学ホームページへ
日文ホームページへ
山岡ホームページへ