アメリカではFathers Dayと言えば、国じゅう挙げてお祝いをする一大行事の一つである。バークレーのレストラン街も家族連れで異常な賑わいを見せている。私は実父も義父も既に失っているが、今は自分が父である。この日は子が父に感謝する日であると同時に、自分が父であることの感謝を、自分を父にしてくれた我が子に伝える日であってもいいと思う。
12歳で京都から単身上京し、寮生活を送った。しかし、自分は学園生活のなかでホームシックにかかった記憶がなく、普通に淡々とそのまま新生活を送った。特別自分が気が強いのでもなく、親子仲が悪かったわけでも決してなく、強いて言えば、寂しさを感じる余裕もないほど、新しいことにどんどん出会い、刺激を受け続けていたからではないかと思う。
その意味では今も同じだ。妻と子との三人家族から突然アメリカに単身やってきた。しかし、日々新たな刺激を受けて、充実した日々を送っている。しかし、12歳では全く平気だったが、42歳の今、時たま八王子のわが家を恋しく思う瞬間がある。それは息子・輝紀のことを思うときである。
親には申し訳ないことだが、親子の情は、子が親を思う心よりも親が子を思う心のほうが何倍も強く深い。2001年7月、輝紀が生まれたその日にわたくしはそのことを実感として知った。その日以来、どこかの子どもが事故などで亡くなったニュースを見るだけで、その親の心情を思っては悲しみの涙を流すようになってしまった。生命の尊さを最も強く人に教えてくれる存在、それがわが子ではないかと思う。
輝紀よ、おまえは今どうしている。
おまえのからだの体温と重みと肌の柔らかさよ。おまえを抱いているだけで、わたくしの心は癒される。おまえとわたくしとのあいだに見えない血管があって、同じ血がぐるぐると巡っていくのがわたくしにはわかる。おまえの生温かなその血のおかげで、わたくしはこころもからだもぽっかぽかにぬくもるのだよ。
おまえの笑顔の限りない明るさよ。世界中でいちばん幸せ者であるかのような、はち切れんばかりのおまえの笑顔よ。おまえの笑顔を見ているだけでわたくしは天にも昇るほど嬉しくなるのだ。わたくしはおまえが思い切り笑っている写真を毎日見ているのだよ。おまえは知らないだろうけど。
おまえのなかに満ちる恐ろしいほどの生命力よ。おまえはどうしてそんなに走り回ることが楽しいのだ。広いお庭をぐるぐると、おまえは飽きるまで走り回りつづけている。わたくしがおまえを追いかけて走ると、おまえはきゃっきゃっと笑いながら走って逃げる。そのうちわたくしは疲れ果てて足が鈍り、おまえを追いかけていたはずがおまえに追いかけられている。わたくしが疲れて走るのをやめたあとも、まだおまえは走りつづけている。おまえが走るのをやめるときも、おまえはまだ疲れていない。走るのが飽きたからやめるだけだ。何と恐ろしいやつだ、おまえは。
おまえが母のお腹から出てきたその数秒後に、わたくしはおまえと会った。おまえの顔を見た。20世紀に母のお腹に宿り、21世紀にこの世に出現したおまえよ。その小さな小さな全身が、何と神々しく、何と輝いていたことか。
輝紀(てるき)──いい名前だろう。わたくしが心から尊敬し、わたくしを育ててくださった大恩人である先生にお願いしてつけていただいた名前なのだよ。ほんとうにおまえは幸せ者だ。
おまえが泣いているときはほんとうにわたくしも泣きたくなるのだよ。顔中をくしゃくしゃにして、涙をぼろぼろ流して、この世でいちばん不幸な者のようにわああと泣き声をあげる。何でおまえはそんなにも悲嘆にくれているのだ。わたくしはおまえをぎゅっと力強く抱きしめて、おまえの悲しみを引き受けてやりたい、その思いでもうたまらないのだよ。
泣いたあとにすぐ笑っているおまえよ。そんなにすぐに笑えるのなら、あんなに悲しそうに泣くなよ。わたくしのなかに悲しみが取り残されてしまったじゃないか。
わたくしが疲れ切って家に帰り、ぐったりと横になっていたあの日、おまえはいつものように屈託なくわたくしにまとわりつき、わたくしの眼鏡を取って遊んだ。大事な眼鏡なんだ、おもちゃにしないでくれと、取り返しても、またおまえは横たわっているわたくしの顔から眼鏡を奪ってきゃっきゃっと笑った。あのとき、わたくしはどうしてもがまんできなくておまえに手を上げてしまった。おまえは一瞬にしてわああと泣き叫び、出かけている母を呼んだ。ああ、輝紀、わたくしが悪かった。何と罪深いわたくしよ。こんなにも大切な宝物のおまえに手をあげ、おまえを驚かせ、天国から地獄に突き落とし、世界中がふるえそうな勢いで泣かせてしまったわたくしは、何と取り返しのつかないことをしてしまったのか。帰ってきた母に抱きついて泣きわめくおまえの姿を見ながら、ほんとうはわたくしがおまえの何十倍もの大声で、何十倍もの涙を流して泣き叫びたかったのだよ。
その次の日、いつもとまったく変わりなくわたくしにまとわりついて笑顔を見せてくれた輝紀よ。おまえはわたくしを許してくれるのか。おまえはこの心の狭い父を父と認めてくれるのか。何とおまえは神々しく、何とおまえはこれほどまでに輝いているのか。おまえのおかげでわたくしはほんとうに救われたのだよ。二度とおまえには手を上げない。もっと心の広い父でいられるようにがんばるよ、おまえのために。
輝紀よ、おまえはわたくしより先に遠いところに行ってはぜったいにならないのだよ。どうしてもおまえが遠いところに行くと言うなら、わたくしもいっしょに連れていってくれ。遠いところで永遠に楽しくいっしょに暮らそうじゃないか。しかし、輝紀よ、わたくしが遠いところに行ってもぜったいについてきてはならない。ずっとずっとあとになってから静かにわたくしのところを訪ねてきてくれればよいのだよ。おまえはわたくしよりもずっとずっと大切なひとなのだから。
幼稚園は楽しいか、おともだちはできたか、輝紀よ。おまえがかわいい制服を来てお迎えのバスに乗っていく姿をわたくしは毎日想像しているのだよ。今日は父の日参観だったんだろう。行ってやれなくてすまなかった。わたくしはアメリカにどうしても大事なお仕事があるのだよ。でも、おまえに一つ言っておくよ。アメリカはぜんぜん遠いところではないのだ。おまえが走り回っているお庭のすぐ先にアメリカというところがあるのだよ。ちょっと辛抱すればいつだって会える。早くいらっしゃい。アメリカでいっしょに遊ぼうじゃないか。ありがとう、わたくしの大切な大切な輝紀よ。
2005年6月19日 父の日に