バークレー日記

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)



Apr/29/2005  満月の夜と父の思い出


 天の原 ふりさけ見れば 春日なる
     三笠の山に 出でし月かも

と、烈しい郷愁を詠んだ安倍仲麿ほど切ない思いでもないが、私も今、満月を見上げて故郷を思っている。

 満月をしげしげと眺めたのは小学生の頃までだった。その当時、我が家には風呂がなかったから、夜道を歩いて近所の銭湯に行った。小学二年くらいまでは母に連れられて女湯に入っていたが、三年生になる頃からは、父と兄といっしょに男湯に入るようになった。
 厳しかった母と対照的に、父は温厚で、私は一度も叱られたことがなかった。大好きな父といっしょに銭湯に行った夜道の風景は、父の優しさとともに、何とも言い知れない生温かな風の触感となって私の記憶に残っている。
 「父に会いたいな・・・」ふと、そう思った瞬間、潤んだ満月の向こうから「頑張れ」という父の声が聞こえた気がする。

 バークレーの私のアパートの周辺の路地の街灯は、京都山科の夜道の街灯と、ほぼ同じ色と明るさをしている。時折走り過ぎる車の音も同じだ。アメリカは治安が悪いと言われているので、あまり夜道を歩かないようにしているが、今日はUCバークレーの学生たちのミーティングに参加して、さきほど別れたところなので、ゆっくりと満月を見上げながら歩いて帰ってきた。

 私が筑波大学助手を中途退職して、現在の創価大学に奉職することが決まっていた春のある日、父は仏壇の引き出しから、桐の小箱を取り出し、その蓋を大事そうに開けて、中に入った小さな黒い炭のようなものを見せてくれた。それは、創価大学建設の際に、敷地から掘り出された埋木の一片で、昭和40年代前半に創価大学設立構想の発表とともに呼びかけられた寄付への参加者に渡された記念品だったという。その当時の我が家の家計からは考えられない勇気ある寄付を行ったと、父は誇らしげに語ってくれた。
 「おまえが今創価大学に戻ってこれたのは、こうやってわしが因を積んどいたからやで」と、父は満足そうだった。「わが創価大学は、名も無き庶民の平和への悲願が結集してできた、民衆立の大学である」と語られた創立者池田大作先生の言葉を、私は父のおかげでこの身に実感することができた。

 そう言えば、創価高校3年の時に、第一志望だった筑波大学に合格した際、父は喜んでくれるどころか、残念がっていたことを思い出した。「わしはおまえを創価大学に入れるために創価学園に入れたんや。そやのにおまえはよその大学に行くのか」というのが、合格を報告したときの父の第一声だった。私はもし筑波大学に合格できなかったら、浪人はせずに創価大学に進学することを父に約束していたので、父は密かに私が不合格になるように祈っていたかもしれない。しかし、私はそのときの父の言葉をあまり意に介しなかった。父がどれほど創価大学に強い思いを持っていたかをそのとき私は知らなかった。

 私が筑波大学で専攻した日本語学は、創価大学には当時ない専攻だった。しかし、不思議なことに私が大学院から助手へと移る頃に、創価大学文学部に日本語日本文学科が設立されることとなり、全く予想だにしない形で創価大学から声をかけていただき、奉職する機会を得た。父の深い一念が私を創価大学に導いてくれたのだと思っている。

 その後、父は病に倒れた。私が妻と結婚したのは父が闘病中の97年2月だった。父は入退院を繰り返していたが、結婚式の頃は退院中でいちばん調子がよく、東京で行った結婚式にも母とともに上京して来てくれた。式の最後の親族代表挨拶は、凛とした張りのある声で、威風堂々たる見事な挨拶だった。

 式の翌日、創価大学を初めて訪れた父は、本当に嬉しそうだった。池田記念講堂の前庭にある「二十一世紀の鐘」の前で記念撮影したとき、母が「ここで写真撮るからには、お父さん、21世紀まで生き抜かなあかんで」といつもの口調で言うと、父もまたいつもの優しい表情で静かに頬笑んでいた。しかし、その翌年の98年12月、父は安らかに霊山へと旅立った。享年65歳だった。

 学生時代は経済的余裕もなく、留学の機会に恵まれなかったが、今こうしてバークレーの地に来て、念願だった在外研究が行えるのも、父の強い祈りがあったればこそである。山科の満月が30年の歳月を経て、今こうやってバークレーの空に懸かっている。そう思えてならない。この1年の成果は、父の悲願だった創価大学と創大生にすべてお返ししていかなければならない。

 父は21世紀まで生き抜けなかったが、私が生き続けているかぎり、父の思いもまた私のなかで生き続けて、21世紀の私の耳元で、「頑張れ」と励ましてくれている。だから私は生涯、何があっても創価大学から離れない。もう二度と父を残念がらせることはしないと、心に誓っている。




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