バークレー日記

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)



May/4/2005  UCBの学生たちとの出会い

  カリフォルニア大学バークレー校(UCB)と言えば、全世界の国公立大学で、トップの呼び声が高い名門校であり、世界中から優秀な学生が集まっている。 サール教授の講義を聴講する学生たち、吹奏楽団の演奏会での奏者たち、セイザー門の前でゴスペルを唄う学生のグループなど、いろいろな場面で強烈な印象の 学生に出会う。今日はその中でも私が特別に濃いおつきあいを始めた一つのクラブについて、日記に記しておこうと思う。

 こちらに着いて最初にお世話になったSGI−USAのアキコ・ルックさんから、SGIメンバーが中心となって運営している学生のクラブがあることを聞 き、4月上旬のまだホテルに滞在していた時から、週1回のミーティングに参加させてもらった。今日5月4日は、今セメスターの最後のミーティングだった。 来週から試験週間に入るからだ。

 「世界平和仏教徒クラブ(World Peace Buddhist Club)」という名のそのクラブには、実に多種多様なメンバーが集まっていた。リーダーを務めるジョージ・カワモトはハワイ生まれの日系アメリカ人で、 幼 少期に家族で南カリフォルニアのオレンジ郡に移ってきたそうだ。彼は昨年、既にUCBを卒業していたが、大学院進学の準備のため研究生として残っていると いう。比較文学が専攻とのことで、非常に表現力に富んだ英文を書くので、彼からのe−メールを読むことが私の英語にもたいへん勉強になっている。顔つきは まったくの日本人だし、日本語もかなり話せるが、彼は私が英語に慣れようとしていることがわかっているので、私とは基本的に英語で話すようにしてくれてい る。アメリカ文化の中で育ったジョージだが、やはり親が日本人だからか、日本人の長所である腰の低さ、誠実さを備えている。本当にまじめで、礼儀正しい。 すばらしい人格の青年で、生涯おつきあいしたいと思える人である。

 彼を中心として、メンバーの出身も実に多彩であった。最初に私が彼らのミーティングを訪ねた際、親しげに話しかけてくれたのは、韓国籍の仲良し姉妹、テ イ・リムとスー・リムだった。姉のテイは生物学専攻で昨年卒業し、現在は大学院研究生、妹のスーは経済学専攻の最終学年で卒業を目前に控えていた。彼女ら は小学生の時に家族でロ ス・アンゼルスに移ってきて、韓国語もまだ忘れていないとのこと。大柄な黒人の女子学生ナンシーは国際経営学専攻。てっきりアメリカ人だと思い込ん でいたが、実はブラジル出身だった。対照的に小柄で童顔のマリは、東南アジア系の顔をしていたが、実はベトナム系二世のフランス人だという。両 親がベトナム語を話すので自分も話せると言っていた。外見からは意外に思えたが、物理学専攻のかなりの才媛らしい。彼女らはみな、3カ国語以上を話すマル チ・リンガルであ る。

 男子学生は、インド出身のアルカとサンジェイが毎回参加していた。サンジェイは今年の2月に、仏教の実践的研鑽の場を求めてこのクラブに入ったメンバー だ。二人とも元はヒンズー教徒だったが、ガンジー主義に見られる慈悲の精神の源流を大乗仏教に求めて、自らこのクラ ブの門をたたいたらしい。二人とも大学院生で、アルカは情報工学専攻、サンジェイは経営学専攻だ。そのサンジェイが先日、同じ経営学専攻でベトナム出身の キムという大学院生をミーティングに連れてきた。キムは参加したその日にこのクラブに入会する ことを決めた。非常に聡明な女性で、将来のベトナムを背負っていくような予感がする。キムも小乗仏教を過去に実践していたらしいが、自己に対しても社会に 対しても、よりアクティブな宗教的実践を大乗仏教の中に求めていたそう だ。

 アメリカ人学生も他にいるが、韓国系のベッキー、中国系のクリスティンなど、ジョージと同様、ルーツはアジア人である。この二人はまだようやくフレッ シュマン(1年次)が終わるところで、専攻は決まっていない(アメリカの多くの大学同様、UCBの学生は、入学時には学部に振り分けられておらず、3年次 に学部(専攻)に分かれることになっている)。

 彼らのミーティングは実に刺激的であり、たいへんまじめな内容である。例えば、民族間、宗教間、文化間の相互不信がなぜ起きるのかというテーマで、具体 的にイラク戦争のもととなった宗教対立の本質などを議論している。私が日本人なので、日本の国連安保理常任理事国入りをどう思うかとか、中国における反日 感情や小泉首相の靖国神社参拝をどう思うか、など、いろいろ難しい質問もされた。そうした時局的テーマを語り合いながらも、彼らは現象にとらわれるのみで はなく、大乗仏教の精神を具体的行動を通じて社会に展開してきた池田大作SGI会長の足跡、思想を真剣に学んでいくことを、常に基本としていた。それはま さに、青年同士の高い問題意識のもとになされる理念と現実との往復作業と言ってもよかった。

 社会全体の価値観の基盤となる精神性を宗教に求める発想そのものは欧米に共通している。人間は信仰を持つのが当然で、履歴書には宗教欄が必ずある。特 に、サン・フランシスコ周辺はカトリックの布教とともに移民が訪れ、街が形成されていった地域でもある。その地に建設されたUCBにもそのような宗教的風 土が強く残されていることを感じる。大学周辺にはカトリックの教会がたくさんある。そうした風土の中で彼らは、より高い精神性の宗教を求め、自発的に学ん でいるのである。つくづく現代日本は、宗教観の浅薄な国だと思う。困ったときにすがる対象か、神秘的なものへの好奇心ぐらいの次元でしか考えていない人が あまりにも多い。だから、無宗教だと胸を張って言う人がいる。欧米では、無宗教を名乗るということは、自分には価値観の基盤がありませんと主張しているよ うなもので、奇異に見られるということを知らないのである。

 このクラブはUCBの公認団体で、大学から活動補助金も受けている。そして、彼らはその全額を、自己啓発のため、また、友人との対話の材料とするため、 現代社会と仏教に関する図書を購入し、小さなライブラリーを自前で構えている。大学のサーバー上に開いたWebサイト(cf.World Peace Buddhist Club)には彼らのライブラリーの蔵書目録も掲示 されている。
 
 私は彼らを深い尊敬の眼差しで見つめている。第一に彼らはアメリカ合衆国という一国だけからの視点は捨てている。というより、最初から持っていないのだ ろう。UCBには世界中の優秀な学生が集まってきているが、このクラブには特に、多種多様な人種が結集している。日本ではどこの大学でも留学生というカテ ゴリーがあって、いろいろな意味で通常の日本人学生と区別されている。しかし、ここでは、アメリカ人と外国人を区別しようとする発想自体がもともとないと 言ってよい。アメリカという国自体が、多様な人種が入り混じって成り立っているからである。

 第二に、彼らは自分たちが世界平和のために果たしていかなければならない役割を深く自覚し、人生を人類への貢献という観点から位置づけているということ である。日本の国立大学の学生には、少なからずエリート意識のようなものが見え隠れすることがあるが、彼らにはそれがない。彼らはキャンパスの外に出て、 ディストリクト・ミーティングと称される一種の座談会に進んで出かけていって、あらゆる出自の、あらゆる職業の、また、あらゆる年齢の人々と、人生を語り 合うという実践を行っている。人生の先輩から学問以外の人間の生き方を学んでいこうという姿勢は謙虚であり、また、誰に接するときも同じ態度で接している 点も立派だと思う。

 私が最初に彼らのミーティングに参加したとき、私は、自分はここに教えに来たのではなく学びに来たのだから、皆と同じ学生のようなものだから、気兼ねな く「マサキ」と呼んでほしいと言った。別にそうでなくても、教授と学生との関係でも、親しければファースト・ネームで呼び合うのがアメリカの文化だと聞い ている。しかし、皆、私が日本の大学の教授だということを知っていて、しかも、最初は遠慮があったのか、「プロフェッサー・ヤマオカ」と呼んでいた。しか し、毎週やってきて、へたな英語で会話に割り込んでくる私に親しみを覚えてくれたのか、最近少しずつ、「マサキサン」と呼んでくれるようになった。本当は サンも要らないのだが、日本語ができるリーダーのジョージが私をそう呼ぶので、他のメンバーもそれを真似ているのである。

 私は彼らと友人のように親しくしていたいし、一面、彼らからたくさんのことを学びたいと思っている。そして、やはり青年というのは本当に掛け替えのない 存在で、その一人一人が本当に貴く、可能性と未来にあふれている。自分以上の人材に育ってほしいと願わずにはいられない。彼らのためにしてあげられる ことは何でもしてあげたいと思っている。創大生にはいつもそのつもりで接してきた。来年帰国したら、思う存分その実践をするつもりではあるが、今ここにい る間は、UCBの彼らにその思いで接していきたいと思っている。そして、彼らと苦楽を共にし、彼らの成長を喜び、日本に帰国してからも続くような絆を結ん でおきたいと願っている。




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