山岡政紀 書評集No.80
『大阪学』 大谷晃一著/経営書院/1994年1月20日発行/定価1200円
私は京都で生れ育ち、中学校から東京に出てその後約20年関東で生活している。京都と大阪の違いというのも結構あるが、大阪の人々の気風、生き方は一応知っているつもりだ。読んでみて確認したことは、とにかく大阪人は、「せっかちで、打算的で、要領がよい」ということである。
青信号に変わる前の見切り発車とか、赤信号でも車が来ていなければ当然のように渡ってしまう歩行者など、大阪人のせっかちさをよく表している。
駐車場があっても、高い駐車料金を日常支払うよりも、たまにつかまった時の罰金の方がまだ安い、と計算して路上駐車する、などというあたりは実に打算的である。法律に対する規範意識や道徳心より損得勘定が優先しているのだ。
せっかく、大阪府がノーマイカーデーを提唱しても、「今日はノーカーデーやから、空いてるで」と、かえって車で出かけるなどというのは、実に要領がいい。というより、いわゆる「お上」を完全に見下してしまっているのかもしれない。これらの話を読みながら、私はすぐに、エスカレーターのことを思い浮かべた。東京ではエスカレーターで止まっている人の方が多い。しかし、大阪では動いているエスカレーターをさらに歩いて上る人の方が圧倒的に多い。やはりせっかちなのである。このはっきりとした違いは私自身が実感として感じていたことで、著者大谷氏にも教えてあげようかなと思いつつページを繰ると、ちゃんと書いてあった(20n)。両方の土地で暮らしたことのある人なら誰でも気付いていることかもしれない。
嘉門達夫という替え歌やコミック・ソングで独自の芸風の歌手がいるが、彼の歌は、聴く者の体験を回想させるおもしろさがある。「おつりを渡す時、ハイ、30万円、と言うおっちゃん」、「遠足の前の日に、バナナはおやつですか、と先生に聞くやつ」などという歌詞が出てくると、自分の幼少期を回想して、「おった、おった」と大笑いする。本書の楽しさもまた、同じ様なものかもしれない。「東京の大衆食堂ではテーブルが片付くまで席につかないが、大阪では前の客が席を立つと一目散に座り、自分たちで皿やコップを片付けて使用後のおしぼりでテーブルをふき、ウエイトレスを待ち構える」などと書いてあると、「そやそや、おる、おる」と、自身の体験を回想しては、ハタと手をたたく、そこにこの種の書を読むおもしろさがあるかもしれない。
その意味では、大阪をよく知らない人が読むとどのように感じるのだろう。インタビューしてみたいものだ。大阪に恐怖心を抱いたりしてしまうのではないだろうか。
私自身も、大阪人ではないのだが思い当たるふしがある。例えば、コンビニのレジでは必ず買った商品を袋に入れてくれる。しかし、レジの前に列ができて並んでいる時には、実にまどろっこしい。「清算が済んだ客は横にずれて、自分で商品を袋に入れたらええんや。レジは早く次の客の清算をやってほしい」と内心、イライラする。袋に入れてくれるサービスよりも、待たずにすむことの方が私の中では価値が高いのである。このへんは自分も大阪人の要素があるのかしらんと思う。大阪のコンビニではどうしているんだろう。 そんなことを考えながら読み進めていると、日本で最初のスーパー・マーケットは大阪のダイエーだということが書いてあった。中内社長の「どうすれば安く売れるか」への飽くなき追求は立派と言わざるを得ない。阪急・東宝コンツェルンを築いた小林社長の商法も大変なものだ。
そのほか、大阪の食文化、大阪の方言、大阪の歴史と、多岐にわたる内容で、大阪人はもちろんのこと、他の地方の人にとっても読み応えがあると思う。
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