山岡政紀 書評集No.79


『ヤマタイ国は阿蘇にあった』 渡辺豊和著/光文社刊(カッパサイエンス)/1993330日/定価770


 ヤマタイ国がどこにあったか−−この命題は日本古代史の永遠の謎である。これまでにも古典の解釈をめぐって様々な論争が繰り広げられた結 果、大和説と九州説という二つの主要な説に絞られるところまでは来ている。そこに、これまでの論争の流れとは全く異なるユニークな視点から、この論争に殴 り込みをかけたと言えるのが本書だ。これまでの九州説がほぼ博多を中心とする福岡県を候補地としていたのに対し、本書の説は大胆にも熊本県の阿蘇という意 外な地名を挙げてきたのである。

 そのユニークな視点とは、本書で言う「地球幾何学」という、耳慣れない方法論を用いたことである。筆者はこれまでにも、人工山である大 和三山の配置がピタゴラスの定理の整数比の関係になっていることを見破って、話題をまいた経歴がある。しかしながら、現代のような測量技術も持たなけれ ば、航空写真を撮ることもあり得ない古代人が、どのようにしてそのような正確な配置を計画し、実際に山を建設し得たのか。この難問のために、折角の筆者の 発見も単なる偶然とみなす人々も多かった。

 それでも筆者は同じ目をヤマタイ国の位置を記述する古典に対して向けたのである。古典とは無論、『魏志倭人伝』である。ここに記されて いる韓国(ソウル)からヤマタイ国までの距離の記述を、彼はすべて移動距離ではなく、直線距離と考えたのである。そう考えることによって諸説混乱の原因と なった途中の中継点との距離関係が整合的に説明できるのだという。そして、火山活動の歴史を考慮しても、当時の阿蘇は、外輪山の内側の盆地に一つの都が存 在したとしても不思議ではないとしている。

 山岳の多い朝鮮半島や九州の陸地で直線距離を記述したとするならば、その目は、まさに「地球幾何学」の視点を持っていたと考えざるを得 ない。そして、筆者は古代人がそのような視点から地球を見ることができたに違いないと主張する。その主張には確信めいたものすら感じられるほどである。と いうのも、筆者自身がかかる能力を既に発現しているというのだ。彼はある地域をぐるぐる歩き回るだけで、上から見下ろしたような鳥瞰図が書けるという。そ のように、一つの事実を見つめているうちに、それを含む包括的全体が、まるで夢でも見ているかのように脳裏に浮かんでくることがしばしばあると述懐してい る。そして、その能力は本来、人間なら誰もが潜在的に持つもので、たまたま建築家である筆者の経験がその能力を磨いたというわけである。むしろ、古代人ほ どそのような鋭敏な能力を有しており、ペルーの有名な「ナスカの地上絵」をはじめとする、世界中に散見される古代史の謎も、そのような能力によるものと彼 は主張している。

 ヤマタイ国阿蘇説の具体的な論証は、ぜひ直接お読みいただくことにしたい。むしろ、古代史の素人の私が関心を持ったのは、筆者のいう不 思議な能力が、近代科学を支える、人間の言語能力や論理的分析能力とは異質なものだという点である。従って、その能力やそれによる経験そのものを言語的に 述べることが困難であることはやむを得ないことであり、それを一概にオカルト扱いすべきではないだろう。人間は事実を言語や記号に置き換える以前に、事実 そのものの姿に対して、もっと鋭敏に接していたと考えることは、説得的である。

 本書の説が今後、古代史学界でどのように評価されるか、またその評価がどうあれ、筆者がさらに、どのようなユニークな見解を示してくれるか、大いに注目したい。


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