山岡政紀 書評集No.43


『カーテンコールのあとで』 スタニスラフ・ブーニン著/松野明子訳/1990年10月20日発行/主婦と生活社刊/定価1500円


 1983年にロン=ティボー国際コンクールで一位となったとき、ブーニンはわずか十六才だった。その自叙伝である本書を通して、天才ピアニストの早熟の秘密がどこにあるかを知ることができる。
 彼の天才は、決して名人芸的な技巧のみの早熟ではなかった。技巧を入口として、音楽に触れるたびに、彼は心に波打つものを求め、モーツァルト、ショパン、シューマンらの芸術を吸収し、十代半ばで既に、音楽を通じて人に伝えるべきもの内に持った、精神的早熟であった。
 彼は1988年、突然米経由でドイツに亡命したことでも話題になった。本書ではその際のスリル満点の亡命劇もおもしろいが、そこに至るまでの彼の心の動きは一層興味深い。音楽を共産主義イデオロギーのプロパガンダの道具としか考えないソビエト社会に、少年期以来疑問を抱いていたと彼は吐露する。つまり、彼のとった行動は政治的思想が先行していたのではない。精神性の欠落した思想を直観的に拒否するほどに、彼の精神は研ぎ澄まされていたのである。


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