山岡政紀 書評集No.39
『真夏の犬』/宮本輝著/1990年3月25日発行/文芸春秋刊/定価1200円(本体1165円)
宮本輝の短編集である。
収められている九篇に共通して描かれているものは、経済的に最低水準の生活を強いられる庶民の生活感と、その中を生き抜く、一見不潔で、一面ではさわやかな、人間くさい人間である。
『階段』は特に切ない。アル中の母親を何度も殴り、また、アパートの同居人から盗みを働く少年の、研ぎ澄まされた心の様。それが回顧の形をとり、自分の母に手を上げたことの自戒の念とともに描かれていることが、すべてを救っている。『真夏の犬』でも、真夏の炎天下、父親の商売の手伝いで廃車置き場の見張りをする少年は、この世の汚いものをすべて見るような体験をそこでするが、きわめて淡々と事実を語る少年の語りからは、むしろ迷いなく生きる者の無垢さが表現されているようでもある。
これらの小品を通して、宮本輝は、人は美しいものを心で感じとるのではなくて、人の心それ自体が美しいものだと、訴えているように思える。どんな境遇にあれ、生きようとする人の心は美しいと。