山岡政紀 書評集


『あ〜ぁ、楽天イーグルス』 野村克也著/角川oneテーマ21/2009年12月10日発行/705円/ISBN978-4-04-710223-1

同じ新書シリーズで『あぁ、阪神タイガース』を出している著者だが、今度は「あぁ」ではなく、「あ〜ぁ」。とうとう書名まで「ぼやき」になった。2009年、野村克也監督は弱小チーム・楽天イーグルスを堂々の2位に導き、本拠地仙台でのクライマックス・シリーズも実現させた。来年こそは理想のチームを完成させて優勝を、との思いを抱いたまま、退任を余儀なくされた無念の思いがこの書名に表れている。特に第1章では歯に衣着せぬ球団経営陣への批判が展開されており、今も名誉監督でありながらここまで書くというのも異例だろうが、球団に対する貢献の自負とチームへの思いの深さの裏返しであろう。

しかし、そうした楽天球団への「ぼやき」は本書の一面に過ぎない。本書の主題は、南海、ヤクルト、阪神、楽天と4球団で監督を務めた経験の中で、選手に何を伝え、どう育ててきたのかを語る回顧録と言える。そのことを通して、野球というスポーツの奥の深さ、そして、それを示してくれる野村克也という野球人の貴重さが余すところなく伝わる、いい本だと思う。野球をよく知らない読者にも十分に読み応えがあるであろう。

ある球団のコーチが野村監督の「ぼやき」を批判して、「試合結果が悪いと選手のせいにして、結果がいいと自分の手柄にする」と揶揄したことがあるが、本書を読むと決してそうではないことがわかる。負け試合を振り返って、自身の采配ミスだと正直に記されている箇所もあるし、一方で、自身の指示に反してプレーした選手が好結果を産んだことに対して、「自分で判断した」ことを誉めている箇所もある。

要するに、「能力の低い選手を上手に使って自分の采配で勝った」などと述べている箇所は一つもなく、彼の立場は、選手をいかに育てるかという教育的な視点に貫かれているのである。選手が自身の特性を活かしきれるように気づかせていく過程、野球の奥深さを選手と共有しようとする姿勢、そしてその結果として一流選手を育てたという成功談は、自身と選手の共同作業の成功を喜ぶ姿であり、むしろ、選手に対する愛情の方を私は強く感じる。

本書から逸れるが、一つのエピソードを思い出した。2009年のある楽天の試合のこと。ベンチで嶋捕手が野村監督からお説教を受けているシーンがテレビに映った。理由は、相手の攻撃で無死一二塁の場面。打者が捕手前のインフィールドに小フライを打ち上げた。嶋捕手は普通に捕球して一死一二塁となった。野村監督は攻守交代の時にそのことをこっぴどく叱ったのだ・・・・・・。おわかりだろうか。その場面で実は、二人の走者は嶋が捕球すると思って全くスタートしていなかった。ならば、わざとボールを落として、三塁→二塁→一塁と送球すれば、悪くて併殺、あわよくば三重殺の可能性もあった、というのだ。走者の動きを見ながら、よりよい選択を瞬時に判断するためには、普段からの意識づけが大事で、そのために説教していたわけだ。野球というスポーツの戦略的側面と、それを知る知将がそのことを選手に伝えようとする姿として印象に残っている。

本書の中でも野村氏は、選手に対する「ぼやき」は愛情なくしては言えないとして、「ほめる」と「叱る」は同意語だと述べている。その他にも、選手が本当の実力をつけるためには結果よりもプロセスが重要だと主張している箇所では、「プロフェッショナルの“プロ”はプロセスの“プロ”でもある」とか、「失敗と書いて“せいちょう(成長)”と読む」といった、教育的な名言をいくつも記している。

野村氏は選手としても戦後初の三冠王やホームラン王9回など、輝かしい実績を持っているが、才能のない自分がいかにプロの中で生き残るかを苦心する中で、投手の配球のクセを読むデータ重視(ID)野球を考案して実践し、成功させたという。そして、その経験が今度は監督として、自分と同じように才能のない選手を育てることに活かされたというのである。実に正直な回顧談ではないか。

その中で「人間教育」の重要性を説いている点も見逃せない。あのV9巨人の川上哲治監督が、野球人である前の人間としての謙虚さ、礼儀正しさ、感謝の心を重視して選手に教えたことへの深い賛同と敬意が示されている。そのことが野村氏の野球観の奥深さをいっそう際立たせているのである。


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