山岡政紀 書評集
書評『監督 挫折と栄光の箱根駅伝』 川嶋伸次著/バジリコ株式会社刊/2009年8月24日発行/定価1600円/ISBN 978-4-86238-138-5
キーワード:箱根駅伝、東洋大学、監督辞任、人間教育
2009年1月に箱根駅伝総合初優勝を果たした東洋大学陸上部を大会直前まで監督として指導していた川嶋伸次氏が、高校時代以降30年にも及ぶ陸上長距
離人生を総括した回想録。
中学校では柔道部だったという意外な過去から、飯能高校での陸上生活のスタート、箱根駅伝を選手として走った日体大時代、実業団選手として宗茂監督のも
とで大きく飛躍した旭化成時代、シドニー五輪男子マラソンで日本人最高の20位だったこと、そして、東洋大陸上部監督に就任してからチームが優勝するまで と、時系列に沿って詳しく書かれている。その中で、筆者の経験や哲学が最も強く注ぎ込まれ、思い入れもまた最も深かったと言えるのは、やはり東洋大監督時代であり、そのことは本書の書名にも表れている。
川嶋氏の監督時代を劇的なものにしたのは、何と言っても、箱根駅伝本大会直前に起きた控え選手の不祥事、そして自身の電撃的な監督辞任である。本編に入る前のプロローグは、その場面からスタートする。最も触れられたくないはずの負の部分から本書を書き起こしているのである。
2008年12月1日に控え選手が電車内の不祥事で逮捕された、その翌2日には、彼は引責辞任を申し出ている。有力チームを育ててきた監督が、本大会を目前にして、突発的な不慮の事態を受けて躊躇なく辞任を決断したことは大きな驚きだったが、プロローグではその決断を動機づけた真情の全貌は明らかになっていない。本書全体を通読しながら、彼の信念や人柄への理解の深まりとともに、当時の真情が確かに伝わってくる。その意味で、最後まで読む価値のある、ま
た、最後まで読むべき一書である。
川嶋氏の指導に一貫しているのは、学生一人ひとりの人格を尊重する姿勢である。例えば、練習方法も学生たちに考えさせるようにし、学生間で意見が食い 違った時でも自分たちでまとめさせるようにしている。また、箱根駅伝の直前に故障した選手は、走りたい一心で自分から故障を言い出せないことが多いが、川
嶋氏は本人の口から出場辞退を言わせるような自主性、判断力、責任感を重視したという。さらに、学生たちの将来を考えて、陸上競技だけではなく学業成績や 生活態度にも意識を向けさせるような指導をしていたことも記されている。
昨今、大学間の激しい競争にあって、選手が勝利のために手段化される傾向が強いなか、川嶋氏は選手一人ひとりの成長を目的として「育てる」意識を強く 持っていたことが伝わってくる。彼は大学駅伝の指導者にふさわしい教育者、それも人間教育者だったと言えるだろう。
そして、そうした自主性を重んじる指導の中から選手の不祥事が発生したことは、箱根駅伝に挑戦する選手たちの苦悩の深さを浮き彫りにした。そして、それに打ち克つために
彼が取り組んできたはずの偉大な挑戦も、ひとたび“挫折”した──そう捉えたことが、彼に即時辞任を決断させた真情だったのだ。
しかし、大きな戦いに臨むにはそれだけ障害も大きくなる。辞任という勇気あるけじめのあとに、全国の多くの人々を感動させた東洋大チームの“栄光”を見せてくれたことに、私は率直に感謝したいと思う。そして、川嶋氏はまだまだ若い。今なお視覚障害者マラソンの伴走という意義深い取り組みを続ける同氏が、
今後の陸上人生の中で懲りることなく理想を追求していくことを心密かに期待し、見守りたいと思う。
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