山岡政紀 書評集


『日本語不思議図鑑』 定延利之著/大修館書店刊/200661日発行/1000

日本人にとって日頃使いこなしているはずの日本語なのに、どう表現するのが正しい日本語なのかわからなかったり、知らず知らずのうちに一つの表現を異なる意味で使い分けていたりなど、“当たり前”の中から“不思議”を取り出して、そのメカニズムをQ&Aの形式で説明した本である。その意味で、この本のおもしろさは、外国人よりも圧倒的に日本人が一番楽しめるであろう。著者定延氏は『認知言語論』(大修館書店、2000)の著書でもあり、本書でも認知言語学理論が説明原理として用いられている。

例えば、取り上げられたテーマの一つにQ5「ボラは何回名前を変えるのか」というのがある。出世魚のボラは稚魚から成魚までに、@オボコ→Aイナ→Bボラ→Cトドと、名前が変わっていくが、魚の図鑑には「4回名称を変える魚」と記されている。しかし、名称の変更は3回とも言える。どちらが正しいのか。これについては、名称変更というデキゴトの回数として3回と数える場合と、名称を一つ一つ順番に4回と数える場合とでは、認知の枠組みが異なるが、どちらも文法的には誤りではないと説明している。

他にQ6「『1時間おき』と『1日おき』」では、「24時間おき」と「1日おき」とが意味が異なることから、「おき」という語を用いる際の時間の単位の違いが時間経過の認知の違いをもたらすことを説明している。Q11「次の停車駅は?」では、「次は三宮までとまりません」という車内アナウンスを聞けば「次の停車駅は三宮だ」と理解する(=「三宮」は「とまらない駅」には入らない)のに、「三宮まで停電になった」と聞けば「三宮も停電だ」と理解する(=「三宮」は「停電」に入る)のは、「まで」の用法に矛盾があるように見えるが、これは「まで」を「三宮に着くまで」とデキゴト的にとらえるのか、「三宮駅」を単なる建造物としてモノ的にとらえるのかの、認知の違いとして説明している。

なお、この本全体の評価に関わるものではないが、上述のQ6とQ11は、本サイトでも紹介している草薙裕(1991)で全く同じ問題設定がされている。特にQ6について言えば、草薙(1991)では、「1日おき」は1日を「枠」として認知するが、「24時間おき」は時間点と時間点との隔たりを「線条」として認知する違いだと説明している。この説明の「枠」にあたるものを本書では「ミカン箱」で喩えているが、説明の趣旨はほぼ共通している。少なくとも巻末の文献欄に草薙(1991)を記しておくべきであろう。


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