山岡政紀 書評集


『日本語と中国語』 劉徳有著/講談社刊/2006410日発行/1700

 この本の著者劉徳有氏は、今日の中日友好の構築に大きな貢献をなした主要人物の一人であり、評者にとっても心から尊敬する先哲の一人である。 1955年に、郭沫若氏を団長とする中国科学代表団の日本語通訳を務めたほか、毛沢東主席や周恩来総理の日本語通訳として様々な政治交渉の場も多く経験している。1964年から1978年6月までの15年間は記者として、『光明日報』および新華通信社の東京駐在特派員を務め、国交正常化前後の中日関係を日 本において見続けた。1968年に池田大作創価学会会長(当時。現・SGI会長)が「中日国交正常化提言」を発表した際には、これをいち早く中国に打電したことで も知られる。その後、中国文化部の副部長、対外文化交流協会常務副会長も歴任しながら、中日の民間交流、文化交流の橋渡し役を果たしてきた。

 劉徳有氏の日本語力は達人の域に達している。評者は劉氏と三度会っている(注1)が、これほど優れた日本語を話す非母語話者を、他に見たことが ない。 その発音には中国語なまりが全く無く、正確さ、流暢さは、もはやNHKアナウンサーのレベルと言っても過言ではない。語彙力も相当なもので、2002年に 拝聴した講演では、同行の夫人を「糟糠の妻」と紹介されたほか、「枚挙に暇がない」とか、「隔靴掻痒の感を免れない」といった、日本語教育では上級レベルの連語も難なくポンポンと用いられる(注2)。その劉氏が、日中間で長年にわたって仕事をしてきた経験をもとに、日本語と中国語の相違点を、日中の相互理解を築く 目的で著したのが本書である。75歳にして初めて日本語で書き下ろしたというが、本書で用いられる日本語は完璧であるのみならず、劉氏の豊かな表現力が遺憾なく発揮されており、心から敬服させられる。

 劉徳有氏が特別な著者であることを、ここまで強調してきたが、決して本書は中国の博識な要人が本職の片手間に書いた回顧録的エッセイなのでは なく、著書が誰で あるかを忘れて純粋に日中対照言語学の啓蒙書として読むにも堪え得るような、高質な一書となっている。下手な言語学者よりも分析は的確で、大学に「日中対照語彙論」という科目があれば、教科書としても使えるであろう。劉氏が単に日本語の使い手として優れているのみならず、言語に対する分析力、博識さにおいても特別なレベルにあることを、本書は物語っているのである。

 例えば第5章では、国立国語研究所が外来語の言い換え案(モラルハザード→倫理崩壊、カウンターパート→対応相手など)を発表した後に新聞各紙に掲載された賛否両論を、ほぼ網羅的に紹介している。同じカタカナ語賛成論であっても、カタカナという表記の利点から主張するもの、言い換え語(漢語熟語)との意味の不一致を指摘するものなど、多様な主張を丁寧に一つ一つ取り上げており、この問題を議論する際にも本章は有益な資料となり得る。
 第7章では、日中食文化の比較を行っているが、その中で古典落語の「目黒のサンマ」と西太后のエピソードの類似について紹介しているほか、食にまつわる 漢詩や漢籍を豊富に紹介している。比較文化を論じる際に文学的な裏付けがあるのは大きな強みである。第9章では、日本文化に固有とされる「もののあはれ」 「わび」「さび」のルーツとも言える情緒が漢詩の中にあることを説得的に主張している。

 しかしながら、やはり心に深く残るのは、第2章「あいまいさと以心伝心の国」である。日本語のあいまいさに対する指摘はこれまでも多く見られ たが、本章では、中日の不幸な歴史に関わる事例を敢えて取り上げているのである。
 例えば、1972年日中国交回復時に、周恩来主催のレセプションに出席した田中角栄首相(当時)が「わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことに ついて、私は深い反省の念を……」と演説したのに対し、周総理が「日本の軍国主義が中国人民にもたらした深刻な災禍を『ご迷惑』で表現されたことは到底受け入れられない」と反発したことを取り上げ、日本語の「迷惑」という言葉のニュアンスが中国では軽い言葉として受け止められたことを紹介している。その 他、中国への 侵略戦争に関わる村山元首相、小泉前首相ら日本国首脳の発言のあいまいさについても、敢えて事例として取り上げられている。かなり率直で遠慮のない注文である。

 翻って、「はじめに」を読むと、大連生まれの劉氏が幼少の頃、植民地教育の一環として日本語教育を強制された当時の忌まわしい思い出が述懐されている。そこには、終戦時に「二度と日本語は口にすまい」と一度は誓いながらも、その後、対日関係の仕事に就き、周恩来総理ら中日友好に尽力された方々との出会いを機に、劉氏自身も中日友好への思いを強くしていく経緯が記されている。不幸な過去を乗り越えて真の友好を築き上げていく──劉氏の思いは誠に切実で尊い。だから第2章では、日本人の真意が中国に正しく伝わらないことの言語的障壁を少しでも取り除くために、中日の未来を開く次の世代の青年たちに建設的なアドバイスを伝えようとする意思が強く感じられてならないのである。

 中日友好を願う多くの日本の青年が本書を手にし、中日両国の言語・文化に関する教養を深め、一段と配慮の行き届いたコミュニケーションのあり 方を学び、心の通い合う交流を実践に移していくことを、自身も青年の一人として願うものである。

 2007.4.30(追補修正2007.5.3

 

 

(1)           1度目は2001年8 月、創価大学パイオニ ア吹奏楽団の北京演奏旅行の際、評者は訪問団団長として文化部を表敬訪問し、懇談した。2度目は2002年9月20日、創価大学を訪問され、創価大学本部棟にて講演「池田提言の歴史的意義と今後の日中関係」を拝聴した。3度目は2006年10月25日、評者が北京大学日本語科設立60周年記念シンポジウムに参加した際、面談した。

(2)           これらの語の出典はいずれも中国古典。「糟糠之妻」「隔靴掻痒」「不勝枚挙」は現代中国語でも用いる。しかし、だからといって中国語話者がその日本語の語彙としての読み・発音・用法を正確に習得することは決して容易ではない。

 

目次

 はじめに/第1章 まずは、挨拶の言葉から/第2章 あいまいさと以心伝心の国/第3章 中国人は日本製の漢字言葉が好き/第4章 中国の新語事情/第 5 章 中国人の見た日中の外来語/第6章 すれ違う言葉/第7章 日中食文化考/第8章 論語にまつわる話/第9章 日中文化を文章で読む/終章 ITデジ タル時代の日中文化交流/あとがき


創価大学ホームページへ
日文ホームページへ
山岡ホームページへ