山岡政紀 書評集


書評 『チェ・ゲバラの遙かな旅』 戸井十月著/集英社文庫/20041025日発行

キーワード:チェ・ゲバラ、ラテン・アメリカ解放、逆コンプレックス、ゲリラ戦、フィデル・カストロ

 これは創作ではない、実在した人物の物語なのだ。
 エルネスト・チェ・ゲバラがボリビアの山中で処刑された1967年、かれはまだ39歳だった。2005年のいま、もし生きていたとして77歳。20世紀のわれわれとそう遠くない時代に、これほどまでに激しく命がけで革命に身を投じた人物がいたことは驚きであり、かつ、事実なのだ。

 アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ、頭脳明晰な医学生だったゲバラが、ラテン・アメリカ解放の理想を掲げて祖国を離れ、オンボロ・バイクの旅に出る。その模様は映画『モーターサイクル・ダイアリー』でも紹介され、日本でも放映され、反響を呼んだ。しかし、本書を読めば、映画が描いていたのはゲバラの実像のごく一部であったことが実感できる。

 第一に、ゲバラ自身の内面の探求である。なぜかれは自身の安全な境遇を捨てて、敢えて戦いの中に身を投じていったのか。これについて本書は、「逆コンプレックス」という言葉を用いている。中南米世界全体が抑圧と貧困にあえぐその実態を知れば知るほど、かれは自らの恵まれた生活環境に罪悪感を抱くようになったというのだ。たしかにそうでなければ、常人の理解を超えたかれの行動原理に対しては説明がつかない。そしてそのことは、自らスペイン軍人の子でありながら、スペイン帝国による圧制のなかで人権を蹂躙されていた黒人奴隷の姿を見た幼少期の体験が、のちに自らを革命へと駆り立てる原動力となった、あのホセ・マルティと相通じるものがある。

 そして、何と言っても、ゲバラを稀代のゲリラ戦士へと変貌させたのは1955年、メキシコでのフィデル・カストロとの出会いである。これも、単に史実としての出会いではなく、ゲバラの心にカストロがどのように写っていたのか、その啓発、共鳴、尊敬の念を、本書は読者に伝えようとしている。ゲバラ亡き今なおつづく、二人の友情の源泉が何であったかが、説得的に伝わってくる。そして、たった82人でキューバに上陸したゲリラ部隊が、合衆国の傀儡と言われたバチスタ政権を打倒するまでに到る壮絶なゲリラ戦のなかでも、ゲバラは多くの人々の心をつかみ、その強靱な意思と誠実な徳性をもって、通常の軍隊における司令関係以上の統率力を発揮し、革命を果たすまでの重要な役割を果たす。

 革命後のキューバでカストロの片腕として大臣の地位を得、新しい国の人々から同志として迎えられ、絶大な信頼を受けながらも、新たなラテン・アメリカ解放の道を求めてキューバを離れ、ボリビアの険しい山中で再びゲリラ戦に身を投じたことは、さらにまたゲバラをゲバラたらしめた。これもまた、ラテン・アメリカのすべての苦渋を一身に背負い込み、一時も安住することができなかったかれの内面に触れずして、単に無機質な事実の説明などでは到底納得の行くものではない。

 最後のボリビア戦におけるゲバラ自身の日記をはじめ、かれに関する資料は数多く存在するが、誕生から死までを小説風の伝記として一冊の読み物にまとめあげ、その内面を克明に描いてみせた点で本書は貴重だ。2000年に一度単行本として発刊されているが、今回、こうして一冊の文庫本にまとまったことはいっそう価値がある。多くの若者が手軽に読めるこの書を手にし、ゲバラの人生を追体験してみてほしい。かれの人生を真似することはめったにできないが、かれのような人間が実在したことの多大な影響力にはだれしも浴しておくべきである。それは、人生の目的とは、価値とは、幸福とは、使命とは、いったい何か、そうした問いかけを始める契機ともなるであろう。


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