山岡政紀 書評集


『漢字でわかる韓国語入門』  水谷嘉之著/祥伝社黄金文庫/2004年7月30日/定価552円


 語学学習を趣味の一つと自称しているくらい、わたくしは語学が好きである。実力は別として。仕事で疲れきったときにはスペイン語の会話テープなどを聴くと癒される。そんなわたくしが苦手と思って敬遠していたのが韓国語である。韓国語の学習書はいろいろ試してみたが、今にして思うとやはりハングルでつまずいたようだ。

 英語など欧米の言語の多くはローマ字、中国語は漢字を使うが、それ以外の文字を使う言語の場合、日本人にとってはまず文字の習得が第一関門となる。ハングル以外ではロシア語などのキリル文字や、タイ語のタイ文字などがそうである。

 といっても、ハングルというのは実に合理的にできている表音文字であり、その気になれば数時間で完全に習得可能だという。たしかに文字のしくみから言って、日本語のひらがなやカタカナに比べてはるかに覚えやすいはずだ。しかし、読み方に慣れてその覚えやすさを実感する前につまずいてしまう人も多く、わたくしもその一人だったのだ。そんなわたくしが、はじめて最後まで楽しみながら通読できたのが本書である。一気に読んだと言ってもよいほどだ。

 本書は、1987年に同社のNON Bookシリーズで出版され、好評を博した同名の書が17年ぶりに文庫版で刊行されたものである。

 まず冒頭、日本語と韓国語とで共通する漢字音をハングルで読むことから説きはじめる。たとえば、都市(トシ)、器具(キグ)、価値(カチ)、無視(ムシ)、地理(チリ)などは日本語と全く同じだし、新聞(シンムン)、父母(プモ)、角度(カクト)などもよく似ている。まずそのことによって、中国伝来の文化を共有する兄弟の国、韓国に対する親近感を与えつつ、読者を韓国語の世界に引き込んでいく。それは、英語を習いたてのころ、外来語として知っている単語を習ったときの親近感と似ており、それに発見の驚きが加わったような感覚と言えばよいだろうか。

 著者は韓国語教育の専門家ではなく、韓日合弁の石油会社の重役であった水谷嘉之氏である。本書も、体系立てられた韓国語教科書というより、著者自身がビジネスのために両国を往来するうちに実際に経験し、会得していくうちに開けていった韓国語の世界がつづられた、「韓国語学習体験談」とでもいうべき体裁である。著者が街角で撮影した看板などに書かれているハングルを読み解いていくところなどは、まさに著者の“解読体験”を追体験するようでもある。その随所に韓国の文化、歴史、地理などに関する話題も散りばめられていて、ちょっとした「韓国入門」にもなっている。

 特筆すべきは、ソウル市内の名所・景福宮に関する記述のなかで、光化門の前に建てられていた、周囲とまったく似つかわしくない巨大な石造の建築物について言及している点である。その建物こそ、戦前に日本が建てた朝鮮総督府であった。韓国文化を蹂躙し、韓国民の民族感情を逆なでしてきたその建築物は、NON book刊行当時の1987年には国立博物館として利用され、厳然と存在していたが、1995年、金泳三大統領のときに撤去されて今はない。今回の文庫版では撤去された事実が加筆されているが、以前の異様な光景に関する記述はそのまま残されている。韓国の人々にとっては忘れたい過去だが、日本の私たちにとっては忘れてはならない歴史である。削除せずに残したことは正しい判断として評価したい。

 韓国語に関するさまざまな記述も、決して素人くさいものではなく、正確で資料も豊富である。たいていの韓国語入門書に書いてある内容は本書にもだいたい収められていると考えてよい。韓国外国語大学教授の指導を受けているとあるが、実質的な監修を経ているのであろう。ともあれ、通読して、著者が韓国語や韓国の人々に対して抱いている親近感が素直に表現されていることから著者の誠実な人柄もうかがい知ることができる。韓国語に少しでも興味のある方にはお薦めしたいと思える良書である。


創価大学ホームページへ
日文ホームページへ
山岡ホームページ表紙へ
メールアドレスは myamaoka@soka.ac.jp(山岡)です。