山岡政紀 書評集


『蘇生の哲学─パラダイムとしての人間観─』後藤隆一著/霞出版社/2004年3月31日/定価1260円


 前・東洋哲学研究所所長である著者が積年の研鑽の成果を、余分な言葉を捨てて濃密に凝縮した書。評者として勝手ながら「価値創造哲学の実践史」との副題を添えたい。

 哲学とは人間を探求する知の営みであるが、探求する主体も、探求の方法論も、常にその主軸は人間である。哲学のみならず、科学も経済も人間を主軸とするものでなければならない。この基本原理──人間主義を忘れがちなところに人間の不幸があるのだが、著者は本書を通じて、この人間主義こそ人類の宿命を転換する蘇生の哲学であるということを、著者自身の体験的で誠実な思索に基づいて訴えかけている。

 本書を貫くコンセプトとも言える「真理論」と「価値論」との対比も、まさにこの視点をわかりやすく展開したものである。哲学が難解な言葉の遊戯に堕してしまうのは、人間を離れたところに「真理」という実体概念を見出そうとすることによる。いっぽう、「価値」は人間の生活との関係概念である。あらゆる現象が人間にとっていかなる価値を有するのか。人生の目的である幸福とはこの価値を創造し実現していくことにあるとは、人間を主軸に「美・利・善」の価値論を論じた牧口常三郎の主張である。

 人間は対象としての真理を探求するために、人間自身をも対象化・相対化してきた。しかし、戦争と環境破壊に明け暮れた20世紀の人類の宿命と立ち向かおうとするならば、再び人間主義の価値の視点に立ち戻り、一人の人間の生命の尊厳から、すべての現象を捉え直す以外にないのである。

 1921年生まれの著者は、青年期に第二次世界大戦と、戦後の荒廃・混迷を経験し、理想を求めてマルクスやケインズの経済学を学ぶが、納得の行く答えが得られずに悶々とするなか、法華経と出会い、人間主義の原理を知る。その後の70年代以降に生まれた、ボールディング、シューマッハ、ロエブルらの経済学は、いずれも人間を主軸に置き直すものであり、ここに経済学における「真理論」と「価値論」の対比を見出している。この後者については、著者がこれまで「ヒューマノミックス(人間主義経済学)」として論じてきたものである。

 両論の対比は、哲学と宗教との相関を考える上でも示唆的である。一般に、哲学の論理性と宗教の非論理性とが対比的に語られることが少なくないが、論理性のみを追求するのは真理論の立場である。真の人間主義の哲学は、論理的であると同時に、人間に価値をもたらす実践哲学でなければならない。それこそが哲学を持った真の宗教と呼ぶべきものなのである。宗教が科学的真理と相反する別の「真理」を主張するとき、それは過去の遺物との誹りを免れない。宗教の使命は「価値」の実践にこそあると、本書は主張する。

 世界宗教について、まず社会的分類を示したあとに、価値論の視点から再分類しているところなどは実に説得力がある。そして、そのような視点を維持しつつ、初期仏教、大乗仏教、日蓮思想と時系列に沿いながら、壮大な仏法史を概観していく。各時期の仏法における重要な法理の解説が驚くほどわかりやすいのも、法理を単に真理としてではなく、人生における価値という視点から見ているからであろう。

 そして終章では、20世紀の奇跡として、創価学会の出現の意義を論じている。混迷する現代の民衆一人ひとりを力強く蘇生させてきたのが、牧口・戸田・池田の三代会長であり、その師弟の行動によってこそ、法華経の人間主義は現代に蘇り、生きた実践哲学として世界の民衆に価値をもたらしたのだと主張する。とりわけ、池田大作という傑出した指導者の実践の驚異的なスピードの早さ、それをもたらす恩師・戸田城聖との師弟の深さを訴える箇所では、文章そのものにも著者の年齢を感じさせない生命力がみなぎっている。

 こうして著者の思索の深化に沿って綴られた本書を振り返ってみると、その内容は「価値創造哲学の実践史」と呼ぶべきものになっているのである。もっと平たく言えば、「創価の生き方入門」か。本書は創価学会組織とは別に個人的に出版されたものだが、価値論としての哲学であるからこそ、著者自身が創価学会という仏教史上の真実の中で生き抜いた実践哲学の記録としての意義があり、広く読者に訴えかける普遍性をも獲得している。そしてそこには、蘇生の喜びが脈打っていることを見逃すことはできない。


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