山岡政紀 書評集


『はじめての宗教学「風の谷のナウシカ」を読み解く』/正木晃著/2001630日発行/春秋社刊/定価1800

 宮崎駿監督のアニメ映画「風の谷のナウシカ」が単なる娯楽の域を超えた、哲学的な語りを帯びた作品であることは、観た人の多くが同意するところだろう。映画館を出たあとにも、心の深層に刻まれ、大げさに言えば人生観を揺さぶるくらいの宗教性さえある、そういう作品であった。
 怒り狂う王蟲(おうむ)を命懸けでしずめようとしたナウシカの姿を通して、この作品は、人間と自然との共生、すなわちエコロジーの世界観を呼びかけたのだ。
 しかし、この作品の持つ哲学性・宗教性はそれだけにとどまらず、ありとあらゆる場面に満ち満ちているという。宗教学者である著者が、宗教学の見地からそれを言語化し、解説してみせたのが本書である。
 例えば、タイトルにもなっている作品の舞台「風の谷」は何を意味するか。風とは呼吸なのだという。動物はもちろん、小さな虫でも、植物でさえも、生きとし生けるすべての者が行っている呼吸──それは自然そのものの生命エネルギーなのだと。

 このような分析が全編にわたって行われている。その意味で本書は、「風の谷のナウシカ」に対する一種の記号論的文芸評論と言える。
 その反面、宗教学は、この一つの作品の分析に要するよりもはるかに豊富な知見をもっている。本書ではそうした宗教学の知見を、しばしばナウシカ論を離れて大胆に展開している。教養課程の一つとして宗教学入門を学ぼうという大学一年生にとって、これほどわかりやすい入門書はないと思う。しかし、宗教学に関心のない読者には本書の内容は少々重苦しく、面食らうのではないか。
 一例を挙げると、図像学の視点からナウシカの着衣の色、王蟲の眼の色を分析し、そこから、キリスト教を精神的基盤とするルネサンス期の美術へと話題は展開する。黒が象徴する禁欲や純潔、赤が象徴する愛や情熱など、色は意味を持ち、そして宗教性を帯びるのだという。そうしてさらに、著者の専門である仏教美術の図像学へと読者を導いていく。
 一つの物語の深層を読み取るという点では、私は河合隼雄氏の民話分析との類似を想起した。人から人へと語り継がれた物語の中にユングの言う集合的無意識が表現されていると河合氏が分析したことは有名だ。
 しかし、「風の谷のナウシカ」の作者は今なお健在である。どの程度の意図をもって舞台を「風の谷」にしたのか、ナウシカに青い着衣を着せたのか、など、実際のところはどうだったのか。宮崎駿氏に本書を読んでもらって、作者の意図に合致するものであるのかどうか、聞いてみたい気がする。
 また、同じくエコロジーを題材とした「もののけ姫」など、他の宮崎作品でも一貫した見地からの分析が可能なのかどうか、この点は著者正木氏に聞いてみたい。ともあれ、興味は尽きない。


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