日本代表サポーターの一人として
2002W杯で開催国日本の代表チームは、初出場で3戦全敗だった前回のフランス大会から飛躍的な進歩を遂げ、初勝利のみならず、1次リーグを2勝1分け無敗の好成績で決勝トーナメントに進出し、ベスト16となった。しかも、今大会の全チームの成績を勝ち点、得失点差、総得点の優先順で、順位づけをすると、日本はベスト16で終わった8チームの中ではトップの成績、すなわち9位なのである(サッカーW杯・2002韓日大会 最終順位表)。あくまでも数字の上だけだが、世界最高の大会で一桁代の成績──これはもう大活躍である。
ところが、この大活躍にも日本のサポーターは満足していないように見受けられる。というのも、これまで開催国が決勝トーナメントに進めなかったことは過去16回のW杯史上、一度もなかったために、ベスト16まではホスト国のノルマという意識が浸透していたことが一つの理由に挙げられる。
過去16回のうちホスト国が優勝した大会が6回(1930 ウルグアイ、1934 イタリア、1966 イングランド、1974 西ドイツ、1978 アルゼンチン、1998 フランス)、準優勝が2回(1950 ブラジル、1958 スウェーデン)と、ホスト国は常に優勝候補に挙がる存在だったと言ってよい。
それほどまでにホスト国が優位である理由の第一は、そもそもW杯が主にサッカーの先進国と言われる地域で開催されてきたことが挙げられる。第二に、すべてのゲームを「ホーム・ゲーム」として行える「地の利」があるからである。
サッカーは、球技の中でも、広いグラウンドを選手が長時間走り続けるスポーツの代表格である。相当に闘争心も必要とされ、その分、スタンドからの声援が心理的に左右する度合いも大きくなる。スタンドで観戦するホーム・チームのファンを、12番目の選手である「サポーター」と呼ぶ理由もここにある。さらにグランドの特徴や開催地の気候などに慣れていることも、ホスト国の「地の利」と言える。
W杯は1958年のスウェーデン大会以降、欧州と欧州以外の地域で交互に開催されてきた。もっとも、欧州以外の地域と言っても南米か北中米であり、それも、サッカーの盛んなアルゼンチン、チリ、メキシコであった。1994年米国大会は、決勝トーナメントの経験のない米国がホスト国となったが、やはり地の利を活かして、初のベスト16を勝ち取り、話題を呼んだ。サッカー人気が今ひとつと言われていた米国サポーターが予想に反して熱狂的な応援をしたことも、印象深かった。
ホスト国が1次リーグで有利である理由がもう一つある。それは1次リーグのグループでは強豪国が1チームずつシードされる中で、開催国もシードされるため、開催国は他のシード国と同じグループに入らないというメリットがある点である。これも1994年の米国が決勝トーナメントに進出した一因となっていることは間違いない。もっとも、その後米国のサッカーは長足の進歩を遂げ、今大会では「地の利」を得ずしてベスト8進出という快挙を成し遂げている。
そして、W杯をグローバルに開催していくために、アジア初のW杯が今回開催された。ドイツ大会に続く2010年の大会はアフリカ大陸初のW杯が期待され、南アフリカでの開催が既に有力視されている。サッカー後進地域と思われていたアジアでのW杯成功はそうしたグローバルな流れを後押しするものであった。ついでに言うと、その先に見込まれている、オランダ・ベルギーの共同開催にも道を拓くもので、様々な意味での実験台でもあった。
さて、日本代表チームに話を戻すと、上に挙げたような開催国の利点を考慮しても、日本の決勝トーナメント進出は至難の業に思われた。共催国の韓国は過去5回のW杯出場で決勝トーナメントどころか、たったの1勝も挙げていない。アジア勢の決勝トーナメント進出自体が数えるほどしか前例がなく、94年のアメリカ大会でサウジアラビアが決勝トーナメントに進出しただけでも、「アラビア旋風」と世界が注目したほどである。4年前に3戦全敗だったアジアのサッカー後進国がたった4年でベスト16にまで進出するというのは、いくら地の利を得ても簡単に予想できることではないのである。
日本が入った1次リーグのHグループは、確かにFIFAランキング1桁代の強豪国がいないという点で、日本がシードされたことの利点は見られたが、それでもベルギー23位、ロシア27位、チュニジア30位に次いで、日本はランキング32位でこのグループの最下位だった。このグループを2勝1分けで突破したことは明らかに快挙なのだ。選手たちは本当によくやった。
日本が決勝トーナメント1回戦のトルコ戦を間近に控えて、マスコミはベスト4まで行けるともてはやした。そして、トルコ戦に敗れたその日、日本中ががっかりし、せっかくの快挙がすべて帳消しになったかのように沈み込み、トルシエ監督の采配を疑問視したり、「選手たちがベスト16で満足してしまったのではないか」などと失礼千万なコメントを言うものが出たりした。
トルコ戦では、監督も選手もベストを尽くしたと思う。だれよりも勝ちたいという気持ちが強いのは選手自身であるということを、私は信じて疑わない。むしろ、そのような失礼千万なコメントを言う者に対して「あんたこそ、ベスト16になった途端に、簡単に勝てるものと勘違いしたのではないか」と言い返してやりたい。そうでなければ、選手がかわいそうだ。
選手も監督もベストを尽くしたと思える中で、唯一全力を尽くさなかった選手が”一人”いることを指摘したい。それは、12番目の選手「サポーター」だ。あの日、宮城スタジアムは雨だった。サッカーは野球と違って雨の中でも戦うスポーツだ。しかもW杯の時期の日本が梅雨であることは日本人が一番よく知っているはずだ。この気候には慣れているはずではないか。
それなのに、当日、選手がずぶぬれになって戦っているのに、屋根のない席にいた日本人サポーターが屋根付きの場所に避難して応援していたという。あなたは観戦(傍観)をしにきたのか、勝利をサポートしにきたのか、どちらかと問いたい。選手と一緒にずぶぬれになってでも、なぜ、選手に一番近い場所から大声を張り上げて、選手を勇気づけようとしなかったのだ。選手と一緒に戦う意志のない者はサポーターではない、ただの観客(傍観者)だ。そのような者たちに選手を非難する資格などあろうはずがない。
私は当日、仕事のためにこの試合を見ることができなかった。試合が終わった後にニュースで、0-1で敗れたことだけを知った。たしかに残念だった。しかし、自分は建物の中でぬれることなく仕事をしていた。雨の中、全力で戦った選手たち、よくやった、ご苦労さま、そういう思いだった。
この悔しさを晴らすために、ドイツ大会ではベスト8をねらってほしい、と多くの人が言う。何を言うか!ドイツ大会に出場するためにはアジア予選を勝ち抜かなければならない。そんな簡単にアジア予選に勝てるなどと思ったら、何度も何度もアジア予選で苦杯をなめ続けてきた日本サッカーの先人たちに失礼ではないか。
よしんば、予選に勝ち抜いて本大会に出られたとして、開催国の「地の利」がない中で、またしてもベスト16に残るということがどれほどの至難の業か。日本代表チームが勝つことで、勝つことの重みが逆に薄れ、勝って当たり前のような空気が浸透したら、戦っている方としたらやりきれないのではないか。ただ傍観している方は、Jリーグの試合を見るのと、W杯の本大会の試合を見るのと、同じような気分で見ているかもしれないが、より高いレベルの大会で一つ勝つことの重みを、サポーターも共有すべきではないか。
私は日本人が本当のサポーターとなるためには、この勝つことの困難さを選手と共有し、一つ勝つことの喜びを大げさなくらい、選手と共有できるような、そういうサポーターであるべきだと思う。それが、素晴らしい感動を与えてくれる、よりすぐられた選手たちへの、せめてもの感謝のしるしであり、それこそが真に選手を勇気づけるものだと私は信じる。
2002.7.15