寺村秀夫先生を偲ぶ

山岡政紀(YAMAOKA Masaki)


 わたくしは、昭和61年に、筑波大学大学院の寺村秀夫先生のもとに入学しましたが、先生の指導学生でおれたのは、わずか一年間でした。研究室で「阪大に 行くことになったんや。ええか」と、お話し下さった時のことが忘れられません。

 先生が筑波を離れられる間際に、タイ人や韓国人の留学生とともに先生の宿舎を訪ね、手作りの料理を作り、心ばかりのパーティーを開きました。料理が苦手 な私は、料理を他の人に任せて、お待ちになっている先生にクラリネットの生の音色を楽しんでいただこうと、愛器を手にとり、モーツァルトのクラリネット協 奏曲のソロパートを演奏して差し上げました。一通り演奏し終ると、特にご感想をおっしゃるでもなく、もっと他にはないのか、○○という曲は吹けるか、と催 促をなさいましたが、大学の楽団でクラリネットを担当していた私には、独奏曲のレパートリーは少なく、断片的なパッセージを二、三演奏して、もうレパート リーがありません、と申し上げました。先生は一言、「それだけ吹けたら、まあ楽しめるな」と、おっしゃいました。こんなことなら、先生に贈る独奏曲を練習 しておくのだった、と思いました。

 あの日の先生は筑波大の多忙な雑務から解放されて、一と際のんびりとされたお姿でした。先生も私と同じくモーツァルトがお好きであられたのですが、モー ツァルトについてお話ししたのは、その時が最初で最後でした。その後、何度か大阪に先生を訪ねましたが、短い時間に研究の話をつめこんで下さいました。そ のたびに、研究の上で一つの指標を見いだす喜びを得ながら、いつか先生とモーツァルトについて、ざっくばらんにお話しできたら、と思いました。半人前の自 分が、先生と趣味の話なんておこがましい、とも思いました。今にして思えば、おでんに舌鼓を打っていらっしゃるその一瞬にでも、お聞きすればよかった。先 生はモーツァルトのピアノ協奏曲は何番がお好きですか、と。今、先生のお人柄を偲ぶときに、先生はきっと秋風のような23番がお好きだったような気が致し ます。今日は、23番とよく似たクラリネット協奏曲をプリンツの演奏で聴きながら、あの日の、眼をつむって聴き入られる先生のお姿を回想しております。

(寺村秀夫先生追悼文集「流星」より。1990.10.28筆)


創価大学ホームページへ
日文ホームページへ
山岡ホームページ表紙へ